出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
… 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽と近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。…
…江戸時代初期の結崎村は2255石余(元和郷帳)。結崎が歴史地名として著名なのは,能楽の観世座がその草創期にここに本拠をすえたことによる。観世流の祖観阿弥清次は,伊賀国で成長し,小波多(現,名張市)で一座を結成し,結崎に移って座名も結崎座(ゆうざきざ)と改めたといわれてきた。…
※「観世座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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