角倉与一邸跡
すみのくらよいちていあと
高瀬川の運輸管理や御土居藪支配を担当した角倉家の屋敷。高瀬川の頭である一之船入町を中心に樋之口町・西生洲町、宝永五年(一七〇八)の大火以降は、日蓮宗要法寺が二条川東(現左京区)に移転した跡地も邸地とした。そのほか、京都御役所向大概覚書によると、二条通賀茂川出口、樵木町二条下ル町、河原町三条下ル町に角倉の屋敷地がある。また、富小路二条下ル町にも、表口二二間余、裏行二四間ほどの屋敷があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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