朝日日本歴史人物事典 「誓願房正定」の解説
誓願房正定
鎌倉中期の真言宗の僧。越前国(福井県)豊原寺の僧。建長3(1251)年の春,上洛の際に京都五条坊門地蔵堂において邪教の行者に会い,邪教の教相事相を受ける。その後,文永7(1270)年に『受法用心集』を著して,立川流を糾弾する。『受法用心集』は,南北朝時代の高野山の学僧宥快の著した『宝鏡鈔』以前に立川流を攻撃した書として注目に値するだけでなく,その具体性から立川流を知るには必読の書ともいえよう。さらに,文永年間(1264~75)にはすでに邪流が教義事相を完備していたことや,立川流の名称が用いられていたこと,立川流が文観以前に大成されていたことなどを明らかにしている。<参考文献>守山聖真『立川邪教とその社会的背景の研究』
(井野上眞弓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報