平安時代末,崇徳天皇の護持僧をつとめた醍醐山東院の仁寛(にんかん)を流祖とする真言密教の一流。密教の教理を曲解して,天地の森羅万象を金剛界と胎蔵界に分け,これに男女を配して大日如来にあて,男女の交合をもって即身成仏の秘法とし,煩悩即菩提の極致であると説く。仁寛は女犯によって伊豆に流されたが,同じころ,真言勧修寺流を受けた四天王寺の別当真慶(しんぎよう)も盛んに女犯の是認を説いた。鎌倉末期,後醍醐天皇の護持僧文観(もんかん)は真慶の印信書籍を筆写し,仁寛秘法の印契を会得して立川流を大成,秘法を天皇に伝えて寵を得たというが,その真否は定かでない。だが,中世の天台・真言両宗では清僧は少なく,女犯や男色が僧侶のなかで盛んだった。この風潮の裏に立川流の流布があり,それがこの期の僧院文芸にも多くの影響を与えている。他方,真言正統派はこの邪説を破るため,その典籍を破棄するなどの努力をくりかえし,また近世になると,幕府の僧侶の生活規制もきびしくなり,この流は邪教とされて,その勢力はほとんど絶えた。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安末期、真言(しんごん)密教に陰陽道(おんみょうどう)、民俗信仰を交えて興起した真言宗の一派。立河流とも書く。発生の地、武蔵(むさし)国(東京都)立川に由来する。開祖は京都・醍醐(だいご)寺勝覚(しょうかく)の弟子仁寛(にんかん)。彼が1113年(永久1)伊豆に流罪になったのを機会に東国、北越に広まる。南北朝時代に弘真(こうしん)(1278―1357)は立川流を大いに広めたが、1335年(建武2)高野山衆徒(こうやさんしゅと)の非難を受け、甲斐(かい)国(山梨県)に流された。高野山の宥快(ゆうかい)(1345―1416)が立川流を批判した『宝鏡鈔(ほうきょうしょう)』は著名である。立川流は真言宗の実践目標である即身成仏(そくしんじょうぶつ)の実現が男女の性関係による大楽の実践にありとしたので、邪教の刻印を受けた。農耕儀礼の要素も含み、実体は不明のままである。
[宮坂宥勝]
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