朝日日本歴史人物事典 「諏訪盛澄」の解説
諏訪盛澄
平安末・鎌倉前期の武士。信濃国(長野県)諏訪下社大祝 (神官)。本姓金刺氏。もと平家の家人で,長年在京していたため関東参向が遅れ,鎌倉に連行されたが,弓の芸に秀でていたことから頼朝に惜しまれ,死を免ぜられ囚人となった。盛澄の弓は藤原秀郷流の秘訣を相伝し,在京中には鳥羽城南寺祭の流鏑馬射手を勤めたこともあるほどの腕前であったという。文治3(1187)年,鶴岡放生会の流鏑馬射手に召し出され,悪馬を乗りこなし見事に的を射抜き,さらに5寸の串に小土器を挟んだ難しい的を射抜くという妙技を披露し罪を許された。以後,頼朝に仕え,的始や鶴岡神事の流鏑馬などの射手を何度も勤めた。
(澤野泉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報