讃楊郷(読み)さやごう

日本歴史地名大系 「讃楊郷」の解説

讃楊郷
さやごう

和名抄」に訓はない。「日本書紀」大化二年(六四六)正月是月条に、孝徳天皇子代離宮こしろのかりみやに御したことに関連して「或本云、壊難波狭屋部邑さやべむら子代屯倉、而起行宮」という原注がある。郷名を称する氏としては「新撰姓氏録」(摂津国神別)の物部系の伊香我色雄の後裔と称する佐夜部首がおり、「続日本後紀」承和六年(八三九)一〇月一九日条の「摂津国人直講博士従六位下佐夜部首頴主賜姓善友朝臣、編付左京四条二坊」の頴主はおそらく当郷を本拠としたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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