難波屯倉(読み)なにわのみやけ

日本歴史地名大系 「難波屯倉」の解説

難波屯倉
なにわのみやけ

安閑天皇元年一〇月に天皇の妃、宅媛に賜ったという屯倉。「日本書紀」によれば、宅媛は大連物部木蓮子の女で、安閑との間に子がなかったため天皇は名を後代に留めるためにこの屯倉と郡ごとの钁丁とを宅媛に与えたという。钁丁は日本古代の文献では、このほかに摂津三島竹村たかふ屯倉(現茨木市)に春秋五〇〇丁の钁丁が使役されることが、「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条にみえるだけで、性格は明確ではないが、すぐれた鉄鍬をもって屯倉の耕作に当たる田部の一種と考えられる。難波屯倉は竹村屯倉などとともに良好な農具で経営されていたのであろう。「日本書紀」孝徳天皇大化二年(六四六)正月の是月条に「天皇、子代こしろ離宮に御す」とあり、その分注に「或る本に云ふ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む