日本歴史地名大系 「西成郡」の解説
西成郡
にしなりぐん
- 大阪府:摂津国
- 西成郡
「和名抄」高山寺本は「ニシナリ」、東急本国郡部は「迩之奈里」と訓じ、長源(溝か)・
前述のような歴史過程のなかで郡界もしばしば変化し、庄園の設定や近世の町づくりによって古代の郷名は地名としてほとんど失われた。中世には古代の郷名に替わって多くの庄園名が登場、近世の大坂三郷内ではそれぞれの由来をもつ町割と町名の出現をみることになる。本項では、以上のような当郡域の特殊性にかんがみ、古代を中心に述べ、近世は村方地域の動向(郡高・村数など)に言及するにとどめた。なお、承徳二年(一〇九八)・応永二四年(一四一七)の年紀を記す難波の古地図があり、「日本地理志料」をはじめとして従来から各種の郷域比定がこの地図を基礎にして行われてきたが、いずれも偽作物であり、郷域比定の根拠となしがたいことを、とくに付記しておきたい。
〔初見・表記〕
郡名の初見は天平一九年(七四七)の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳の諸国の庄をあげたなかに「西成郡一処」とみえるものであるが、「続日本紀」天平六年三月一六日条に、聖武天皇の難波行幸に関連して「供奉難波宮東西二郡」とある「西郡」も当郡のことである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報