谷中村滅亡史(読み)やなかむらめつぼうし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷中村滅亡史」の意味・わかりやすい解説

谷中村滅亡史
やなかむらめつぼうし

荒畑寒村(かんそん)の記録文学。1907年(明治40)8月、平民書房から刊行された四六判174ページの簡素な装丁の小著であるが、渡良瀬(わたらせ)川の鉱毒事件に直接かかわる義憤の書であったため発行と同時に発売禁止。田中正造(しょうぞう)の肖像序文、ついで木下尚江(なおえ)の序文がある。資本家と結び付いた明治政府・明治国家との間に久しきにわたって展開された一大闘争史の集中的悲劇が、谷中村(栃木県下都賀(しもつが)郡)の強制取り壊しであるという観点より「一気呵成(かせい)」に書かれた激情の書。明治文献(1963)と新泉社(1970)よりの復刻版がある。

紅野敏郎

『『谷中村滅亡史――足尾銅山鉱毒事件の全貌』(1970・新泉社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の谷中村滅亡史の言及

【足尾鉱毒事件】より

…そして日露戦争下世論の鉱毒問題離れが進むなかで,上流と下流の被害農民を分断し,甘言と強権をもって下流の谷中村民を遠くは北海道のサロマベツ原野などに移住させた。07年かつて陸奥の秘書で前年まで古河鉱業の副社長だった内務大臣原敬は,遊水池化に抵抗する16戸の残留民に土地収用法を適用し,強制破壊を行った(同年8月刊の荒畑寒村《谷中村滅亡史》は即日発禁とされた)。田中正造と残留民はなおも仮小屋をつくって住み続け,土地の不当廉価買収訴訟を起こし(1919年控訴審で一応勝訴)谷中村復活を目ざした。…

【荒畑寒村】より

…05年,社会主義宣伝のために東北伝道行商を行う。07年,政府の谷中村強制収用に憤慨して《谷中村滅亡史》を出版(即日発禁となるも,後世に残る名著となった)。08年,赤旗事件で検挙され,獄中で外国語を独学する。…

※「谷中村滅亡史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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