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木下尚江 きのしたなおえ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

木下尚江
きのしたなおえ

[生]明治2(1869).9.8. 松本
[没]1937.11.5. 東京
社会運動家,評論家,小説家。 1888年東京専門学校法律科卒業後帰郷し,若くして『信濃日報』主筆となったが,地方政治家の不正をあばいて迫害され,弁護士を開業 (1893) 。その後上京し『毎日新聞』記者となり (99) ,廃娼運動,足尾鉱毒問題などに論陣を張る。 1901年片山潜とともに社会民主党結成をはかったが禁止され,03年幸徳秋水,堺利彦らが創立した平民社に参加,『平民新聞』の中心メンバーとして日露戦争に反対する非戦運動を展開,「筆の幸徳,舌の木下」といわれた。『火の柱』 (1904) はこの間の事情を描写した小説で,当時の社会悪を余すところなく描出した『良人の自白』 (04~06) とともに明治の社会主義文学の代表作である。しかしその後思想的動揺が生じ,母の死 (06) を機として毎日新聞社を退社,大逆事件 (10) 後,その著作はすべて発禁処分を受けて,隠棲,宗教生活へ入っていった。天皇制国家観念打破の思想と情熱は終生変らなかったという。その他の著書『懺悔』 (06) ,『飢渇』 (07) ,『墓場』 (08) 。

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百科事典マイペディアの解説

木下尚江【きのしたなおえ】

社会運動家,作家。信州松本生れ。東京専門学校卒。キリスト教徒となる。1897年日本最初の普選運動を起こして入獄。1899年島田三郎の毎日新聞に入社,廃娼運動足尾鉱毒事件に活躍。
→関連項目石川三四郎社会小説新紀元中里介山普通選挙期成同盟会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木下尚江 きのした-なおえ

1869-1937 明治-昭和時代前期の社会運動家,作家。
明治2年9月8日生まれ。信濃(しなの)(長野県)松本藩士の子。郷里で新聞記者,弁護士となり,受洗。明治30年日本最初の普選運動をおこし入獄。32年毎日新聞社に入社,足尾鉱毒事件や廃娼(はいしょう)運動などに論陣をはる。34年社会民主党結成に参加。日露戦争に際し反戦小説「火の柱」をかく。のち社会主義運動を離脱。昭和12年11月5日死去。69歳。東京専門学校(現早大)卒。
【格言など】何一つもたで行くこそ故(ふる)さとの無為の国へのみやげなるらし(辞世)

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世界大百科事典 第2版の解説

きのしたなおえ【木下尚江】

1869‐1937(明治2‐昭和12)
作家,社会運動家。松本に生まれ,松本中学校,東京専門学校卒業後,郷里で新聞記者,弁護士をし,廃娼,禁酒,普選運動などに従事。国家主義者の攻撃に自己弁解するキリスト教に義憤を覚え,1893年これに入信。99年上京,島田三郎の毎日新聞社に入社,足尾銅山鉱毒問題で活躍し(足尾鉱毒事件),社会民主党結成(1901)に参加。日露戦争には非戦論を展開し,人道主義共和主義の立場から資本主義の害悪,忠君愛国思想の偽善を鋭く批判した。

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大辞林 第三版の解説

きのしたなおえ【木下尚江】

1869~1937) 社会運動家・小説家・新聞記者。松本生まれ。普選運動・足尾鉱毒問題に活躍、また日露非戦論を展開。「火の柱」「良人の自白」は社会主義小説の代表的作品。評論「飢渇」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木下尚江
きのしたなおえ
(1869―1937)

社会運動家、小説家。明治2年9月8日、信州松本(長野県松本市)の下級武士の長男に生まれる。1888年(明治21)東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)を卒業、帰郷して新聞記者となるが、正義の主張は郷党にいれられず、政治運動から矯風運動に方向をかえた。93年には代言人(だいげんにん)試験に合格、キリスト教にも入信した。97年中村太八郎(たはちろう)らとわが国初めての普通選挙運動を起こし、最初の犠牲者として獄窓を経験した。99年上京して島田三郎の『毎日新聞』に入社、以来、廃娼(はいしょう)問題、足尾(あしお)鉱毒問題などの社会問題を取り上げて、キリスト教ヒューマニズムに裏づけられた情熱と弁護士の論理で、激しい言論活動を続けた。1901年(明治34)5月の社会民主党の結成にも参加し、日露開戦にあたっては堺利彦(さかいとしひこ)・幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らを促して非戦運動を開始し、『毎日新聞』に『火の柱』(1904)、『良人(りょうじん)の自白』(1904~05)を連載して非戦論と家族制度批判を展開した。戦争が終わると社会主義者間の対立が表面化し、尚江は唯物論派と別れ、石川三四郎らとキリスト教派の雑誌『新紀元』の刊行に尽力していたが、06年秋、社会主義運動から離脱した。新聞社を退社し、一時群馬県の伊香保(いかほ)に住んで作家活動に沈潜したものの、理想社会の実現を人々の「悔い改め」に求めて宗教への傾斜を強め、10年からは岡田式静坐(せいざ)法に没頭した。共和主義者であったがため、小説の多くは発禁となり、新聞雑誌上の評論は出版社に危険視され、評論集としてまとめられたのは『飢渇(きかつ)』(1907)ただ1冊。長い間世間から忘れ去られていた。33年(昭和8)堺利彦が亡くなると執筆を再開し、明治史の調査に打ち込んだが、胃癌(いがん)の進行によって中断され、昭和12年11月5日死去した。[後神俊文]
『『木下尚江著作集』全15巻(1968~73・明治文献)』

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世界大百科事典内の木下尚江の言及

【クロムウェル】より

…日本においては彼の生涯と業績は,主としてカーライルの《クロムウェルの書簡と演説》(1845)などを通して伝えられ,国王を処刑した〈ピューリタンの英雄〉として,明治時代の一部の知識人の生涯に決定的ともいえる影響を及ぼした。広範な社会活動を展開した小説家木下尚江の出発点には,松本中学の歴史の教室でのクロムウェルとの出会いがあったし,また教育勅語の発布を契機に起こった〈内村鑑三不敬事件〉(1891)の背後には,カーライルの書物を愛読した内村のクロムウェルへの傾倒があり,その後も内村はしばしばクロムウェルの生涯を論じている。なお日本で最初に彼の伝記を執筆したのは,竹越与三郎であって,その《格朗穵(クロムウェル)》は,1890年民友社から刊行された。…

【社会民主党】より

…宣言書を掲載した《東京横浜毎日新聞》《労働世界》《万朝報》なども発禁となった。発起人は,安部磯雄,片山潜,河上清,木下尚江,幸徳秋水,西川光二郎の6人で,幸徳を除きすべてキリスト者である。結党の背景には,労働組合期成会(1897結成)を中心とした労働組合運動が1900年治安警察法制定により衰退,期成会中心メンバーの一人の片山らが政治運動によって局面を打開しようとしたことがある。…

【徳冨蘆花】より

…《思出(おもいで)の記》(1900‐01)を経て,民友社と決別し《黒潮(こくちよう)》の第1編(1903)を自費出版。独自の自然観・社会観を根底に置いた当時の創作は,木下尚江(なおえ)らに影響を与えた。1905年心的革命を経験,翌年パレスティナ順礼の旅に出て帰途トルストイを訪問。…

【普選運動】より

…自由民権運動のなかから,中江兆民らの普選論が生まれたが,それはごく一部で,有権者は納税者に限るという考え方が一般的であった。1892年東洋自由党の党内組織として普通選挙期成同盟会が設立されたが,継続的な運動としては97年,松本に中村太八郎,木下尚江らにより同名の組織が結成されたことに始まる。同盟会は99年東京に進出し,翌年1月第14議会に請願書を提出,1902年第16議会で河野広中,花井卓蔵らの名で法案を提出した。…

※「木下尚江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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