谷中村(読み)やなかむら

日本歴史地名大系 「谷中村」の解説

谷中村
やなかむら

[現在地名]藤岡町藤岡・下宮したみや内野うちの

明治二二年(一八八九)四月一日、内野・恵下野えげの下宮したみやの三村が合併して成立。県の最南端に位置し、東におもい川・巴波うずま川、西から南に渡良瀬川、北に赤麻あかま沼がめぐる低湿地で、わずかに西の藤岡町の台地に接する。三川の対岸は東に野木のぎ村、生井なまい(現小山市)、南に茨城県西葛飾にしかつしか古河こが(現同県古河市)、埼玉県北埼玉郡利島としま村・川辺かわべ(現同郡北川辺町)、西に群馬県邑楽おうら海老瀬えびせ(現同郡板倉町)、北に藤岡町がある。成立当時の戸数三七九・人数二千七三、反別約一千一五九町歩余(明治二二年栃木県町村公民必携)。明治二八年度下都賀郡統計書によれば、田一六八町余・畑三七二町余、宅地三四町余、山林七町余・原野四八〇町余・沼地四町余・官有地二一五町余。


谷中村
やなかむら

[現在地名]光町谷中

宮川みやがわ村の東に位置し、北東は蕪里かぶさと(現八日市場市)、南東は堀川小屋ほりかわこや(現野栄町)輪之内わのうちにある稲荷神社の天正五年(一五七七)四月一五日の棟札に「奉再興下総国瑳郡南条庄飯倉郷谷中村稲荷大明神宮」とみえ、領主別当の真照坊長信が願主となり、大工大隅守や神兵衛・郡左衛門など有力百姓の合力によって社殿を再建している。天正期と推定される年月日未詳の領地目録写(神保文書)に「八貫 谷中」とみえ、当村は坂田さかた(現横芝町)城主井田氏の支配下に属していた。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に村名がみえ、高二六〇石で、高組に属し、旗本大久保領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分でも大久保領で、高四四〇石余。


谷中村
やなかむら

[現在地名]川越市谷中

石田いしだ村の東、入間いるま川古川の右岸の低地に立地。小田原衆所領役帳に江戸衆の富永弥四郎の所領として「廿五貫文 川越谷中」とみえる。戦国期府川ふかわ郷代官に任じられていた大野氏が村内に居住したという(芳野村郷土誌稿)。慶安元年(一六四八)検地帳では名請人三三名、うち屋敷持二七。二町―一町所持八名、一町―五反所持六名、五反以下一五名(川越市史)


谷中村
やなかむら

[現在地名]三郷市谷中

幸房こうぼう村の南に位置する。大場おおば川と不動ふどう堀が並行して流れる。下総国小金こがね(現千葉県松戸市)城主高城氏の旧臣という石井総右衛門源政同が幸房村と同時期に開発したと伝え、当村名主は政同の子孫という(風土記稿)。田園簿では幸房村に含まれていたと思われ、延宝元年(寛文一三年、一六七三)の検地の際に分村したというが(風土記稿)元禄郷帳では幸房村・岩野木いわのき村と併せて記される。天保郷帳で一村として高付され高七五石余。江戸時代を通じて幕府領であったと思われる(「風土記稿」・改革組合取調書など)。検地は延宝元年のほか、元禄八年(一六九五)武蔵国幕府領総検地の一環として実施された(「風土記稿」など)


谷中村
やなかむら

[現在地名]佐原市谷中・昭和町しようわちよう

北東流する大須賀おおすか川左岸に位置し、南は寺内てらうち村。同川と八間はちけん川に面した低湿地帯にあたる。東西に銚子道が通る。慶長四年(一五九九)の矢作領検地では検地高三三七石余(「部冊帳」伊能家文書)。寛文四年(一六六四)の下野皆川藩主松平重利領知目録(寛文朱印留)に香取郡内の「屋中村」とみえるのは当村であろう。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高六三九石余、幕府領と旗本山田領の相給で、村高の増加は新田開発の結果であろう。


谷中村
やなかむら

[現在地名]袖ケ浦市谷中

岩井いわい村の南に位置する。応永二三年(一四一六)九月二日の畔蒜庄横田郷名寄帳(覚園寺文書)に「しんしのせうか内」として「二反 いまやなか」などとみえるのは当地と考えられ、横田よこた郷内であった。天正一九年(一五九一)九月九日の望陀郡谷中之郷検地帳(島村家文書)全四冊のうち三冊(寛文八年写)が残る。正保国絵図に村名がみえ、高二三三石余。元禄郷帳では高二九九石余。享保五年(一七二〇)には旗本小宮山領で(島村家文書)、幕末まで同家領(天保一一年望陀郡戸口録など)


谷中村
やなかむら

[現在地名]岩瀬町上城かみしろ

岩瀬盆地中央にあり、東は友部ともべ村、南は橋本はしもと村。村の東を流れる桜川と南東から流れる筑輪ちくわ川が村の中ほどで合流する。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。「茨城郡村々様子大概」(笠間稲荷神社蔵)によれば、村には堰二があるが、天保年間(一八三〇―四四)に造られた谷中堰は岩瀬・青柳あおやぎほん新田・西にし新田各村一帯の水田の用水路として使われている。


谷中村
やなかむら

[現在地名]下館市谷中

大谷おおや川左岸にあり、南は石原田いしはらだ村。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、江戸時代は寛永一九年―寛文三年(一六四二―六三)の在番時代を除き下館藩領。元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)に村高一六〇・三六一石とあるが、元禄郷帳は村高一〇六石余に減少する。天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(同文書)には、鎮守八竜はちりゆう神社、家数一四、馬七とある。


谷中村
やなかむら

[現在地名]越谷市谷中町・神明町しんめいちよう

四町野しちようの村の南西に位置し、集落は沖積低地微高地に散在する。もとは四町野村の新田で四町野新田谷中組あるいは四町野村のうち谷中村などと称されたが、元禄八年(一六九五)の検地時に一村となった(風土記稿)。元禄郷帳に村名がみえ、高三〇〇石余。ほかに当村枝郷三ッ新田(高三七石余)も載る。国立史料館本元禄郷帳によると谷中村・三ッ新田とも幕府領。宝永二年(一七〇五)岩槻藩領となり、幕末に至る(宝永期岩槻藩五ヵ筋村高帳、宝暦一〇年「大岡忠光領知村寄目録写」千葉県中村家文書、改革組合取調書など)


谷中村
やなかむら

[現在地名]川島町谷中

上小見野かみおみの村の東に位置する。戦国時代の末期、石戸いしと(現北本市)落武者によって開発されたとの伝承がある。近世には小見野一〇ヵ村の一。田園簿では田高九五石余・畑高一二石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高一三〇石余、反別は田一六町六反余・畑一町六反余。ほかに開発地高二〇石余(田二町五反余・畑二反余)があった。


谷中村
やなかむら

[現在地名]藤代町谷中

小浮気こぶけ村の南に所在。相馬二万石の一部で、「寛文朱印留」には下総佐倉藩領として村名がみえる。寛政二年(一七九〇)の地頭性名村高控帳(国立史料館蔵飯田家文書)によれば旗本藪氏知行地二六九・四二八石のうちに福蔵ふくぞう寺除地〇・五五石、十左衛門除地一石があった。嘉永三年(一八五〇)の岡堰三拾弐ケ村組合田畑反別控帳(同文書)によると田一四町余、畑二四町余。


谷中村
やなかむら

[現在地名]美浦村谷中

大塚おおつか村の東南に位置する小村。中世は信太しだ庄に属した。江戸時代は旗本領で、元禄郷帳の村高は一〇三石余、幕末は旗本松波恒太郎が支配した(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「谷中村」の解説

谷中村
やなかむら

栃木県の最南端にあった下都賀郡の村。1906年(明治39)7月足尾鉱毒事件の最終決着をもくろむ政府は,村会の反対決議を無視し,遊水池設置のためと称して,400年の歴史のある戸数450,人口2700の村を廃村措置にし,藤岡町(現,栃木市)に吸収合併,村民は強制的に移住させられた。村の跡は現在渡良瀬(わたらせ)遊水池内にみることができる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の谷中村の言及

【足尾鉱毒事件】より

…被害民は町村費国庫補助,免租継年期,憲法による生命保護,被害地復旧など多様な請願運動を展開したが,大部分は郡や県段階で却下された。
[谷中村の滅亡]
 被害民は1900年2月第4回目の〈押出し〉を決行し,利根川北岸の川俣で警官隊の大弾圧を受けた(川俣事件)。68名が兇徒聚集罪などで予審に付され,うち51名が起訴された。…

【田中正造】より

…1901年権力の大弾圧(川俣事件)によって退潮した鉱毒反対運動を活性化するため,議員を辞職し12月10日天皇に直訴(直訴状の執筆は幸徳秋水に依頼)。04年以降は谷中村の遊水池化に抵抗するため孤立した谷中村に入り,谷中自治村の復活に〈亡国日本〉の再生をかけた。その過程で非戦論,社会主義,キリスト教への理解を深めつつ,国家廃絶,個人の自由を根幹にした独特の自治思想に到達した。…

【藤岡[町]】より

…東武日光線が通じる。1907年に合併された旧谷中村は足尾鉱山から流出する鉱毒に対して繰り広げられた反対運動の拠点であった。足尾鉱毒事件【千葉 立也】。…

【渡良瀬川】より

…また上流部の裸地化によって洪水が著しく増加し,その数は明治以後だけでも二十数回に及び,群馬,栃木,茨城,埼玉県下に大きな被害を与えた。とくに多くの支流の集まる栃木県の旧谷中(やなか)村,利根川の合流点付近の埼玉県北川辺町は洪水が多かった。旧谷中村はその後渡良瀬川遊水池となった。…

※「谷中村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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