日本歴史地名大系 「谷中町在方分」の解説 谷中町在方分やなかまちざいかたぶん 東京都:台東区旧下谷区地区谷中町在方分[現在地名]台東区谷中一―五丁目・根津(ねづ)二丁目・池之端(いけのはた)三丁目など金杉(かなすぎ)村の根岸(ねぎし)の西にある。北は谷中本(やなかほん)村(現荒川区)。谷中町は古くは谷中村の内であったが、元禄(一六八八―一七〇四)以前に同村から分れた(風土記稿)。元禄郷帳に谷中町とあり、高一三九石余。しだいに町場となり、延享二年(一七四五)に町奉行支配地になった。その残地(畑地)は六ヵ所に散在した。第一は谷中感応寺(やなかかんのうじ)中門前町の西九畝余、第二は谷中七面前(やなかしちめんまえ)町の後ろ二反余、第三は瑞林(ずいりん)寺の前三畝余、第四は谷中三崎(やなかさんさき)町の南続き一反余、第五は下駒込(しもこまごめ)村(現文京区)の接地九畝余、第六は池之端(いけのはた)の三河吉田藩松平氏下屋敷そば一反余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報