谷合村
たにあいむら
[現在地名]美山町谷合
武儀川と神崎川の合流点を中心に、武儀川を挟んで南北に細長く位置する。岩佐から葛原および神崎方面に至る道の分岐点。東は田栗村、西は葛原村。文和五年(一三五六)一二月一〇日の空性草庵寄進状(善導寺文書)に「山影郡内谷合住空性聖草庵」とあり、空性が谷合の草庵を立政寺(現岐阜市)に寄進し、これを善導寺と号して立政寺の末寺とした。この文書と善導寺の由緒との関係は不明。康暦元年(一三七九)一〇月二七日には沙弥道願が「谷合談義処造□善導寺敷地前坂谷阿昇上野原境」を立政寺に寄進している(「沙弥道願寄進状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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