谷地楯村(読み)やちだてむら

日本歴史地名大系 「谷地楯村」の解説

谷地楯村
やちだてむら

[現在地名]鶴岡市中楯なかだて

大山おおやま(八沢)川西岸、上小中かみこなか村の南にある。元亀二年(一五七一)と推定される八月二七日の武藤義氏書状(庄内古文書影写集所収文書)に「谷地館」がみえる。武藤氏に反乱を起こした土佐林氏家臣桜井氏らはこの館に籠り大浦おおら城を攻撃し、桜井氏をはじめとする一〇〇余人は全員討死した。この谷地館を当地にあてる説もある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に谷地立村とみえ、高一二八石余。寛永元年庄内高辻帳では谷地館村とあり高一一五石余、正保郷帳では田高一〇九石余・畑高八斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android