谷地興屋村(読み)やちこうやむら

日本歴史地名大系 「谷地興屋村」の解説

谷地興屋村
やちこうやむら

[現在地名]藤島町谷地興屋

大川渡おおかわど村の東に位置。永正一〇年(一五一三)草島多右衛門・池田文右衛門の先祖が大谷地を開発し、上中野目かみなかのめ村から移住したと伝えられ、ほとんど両姓の家で占められる(藤島町史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一四〇石余、ほかに新田二石余で、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では高二四二石余。弍郡詳記では免四ツ二分、家数二六。寛政八年(一七九六)当時、五三石余が庄内藩士赤沢源兵衛の小物成所となっていた(横山文書)用水笹川ささがわ堰を利用。寛文二年(一六六二)中野目村との入会谷地で検地が行われた(大泉紀年)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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