日本歴史地名大系 「谷奥深村」の解説 谷奥深村たにおぶかむら 和歌山県:橋本市谷奥深村[現在地名]橋本市谷奥深只野(ただの)村の南、七霞(なながすみ)山(八九一・二メートル)に近く、周りを山に囲まれる。東は大和国宇智(うち)郡嶺大深(みねおぶか)村(現奈良県五條市)で、「続風土記」は「村居の両面山益高く谷益窄りて薬研の底に居るか如く日光を視る事暫くの間なり、大和の峯奥深村と相対す」とあり、嶺大深村と谷奥深村はもと一村であったとする。慶長検地高目録には「谷大深村」とみえ、村高四二石余、小物成五斗七升八合。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では家数二七(役家八など)、人数七四、小物成は茶三〇斤余、紙木六六束、桑一束半。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by