豊原 喜秋
トヨハラ ヨシアキ
- 職業
- 雅楽師
- 生年月日
- 嘉永1年 2月23日
- 経歴
- 幕末、楽人として朝廷に仕えるが、東京遷都によって明治3年11月東京行きを命じられ、少伶人として雅楽局に出仕。家芸である笙や右舞の他にも箏・琵琶などを演奏し、7年からは欧洲楽を伝習した。奏楽の記録として書きつづった「豊原喜秋日記」は、明治期の雅楽の一級資料であるとともに、洋楽受容の貴重な記録にもなっている。
- 没年月日
- 大正9年 3月6日 (1920年)
- 家族
- 父=豊原 胖秋(雅楽奏者)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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豊原 喜秋
トヨハラ ヨシアキ
江戸時代末期〜大正期の雅楽演奏者
- 生年
- 弘化5年2月23日(1848年)
- 没年
- 大正9(1920)年3月6日
- 経歴
- 幕末、楽人として朝廷に仕えるが、東京遷都によって明治3年11月東京行きを命じられ、少伶人として雅楽局に出仕。家芸である笙や右舞の他にも箏・琵琶などを演奏し、7年からは欧州楽を伝習した。奏楽の記録として書きつづった「豊原喜秋日記」は、明治期の雅楽の一級資料であるとともに、洋楽受容の貴重な記録にもなっている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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豊原喜秋
没年:大正9.3.6(1920)
生年:嘉永1.2.23(1848.3.27)
幕末から大正にかけての雅楽奏者。宮廷勤仕の地下楽人であったが,東京遷都にともない,明治3(1870)年11月東上を命ぜられ,雅楽局の少伶人に任官。江戸から明治への転換期を身をもって体験した。家芸であった笙,右舞のほか,箏,琵琶も奏し,7年からは欧州楽伝習も受けた。奏楽記録を中心とする日記『豊原喜秋記』は,雅楽のみならず洋楽をも受容することになる当時の雅楽局の様相を今に伝える重要資料である。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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