豊国大明神宮跡(読み)ほうこくだいみようじんぐうあと

日本歴史地名大系 「豊国大明神宮跡」の解説

豊国大明神宮跡
ほうこくだいみようじんぐうあと

[現在地名]熊本市黒髪四丁目

立田たつだ山の南面中腹に位置する。加藤清正は豊臣秀吉卒去の翌慶長四年(一五九九)一一月二九日「為冥加、豊国大明神を当分領中へ」勧請することを企図(「加藤清正判物」西巌殿寺文書)、立田山中に造立した。「国誌」には「元和元年大阪落去以後廃セラル、今ヤ其迹ノミ存ス」とあり、明和二年(一七六五)跡地から「弘治年中天満宮ニ寄進」の銘をもつ灯籠の笠石を発掘したと記し、「天満宮ヲ他ノ地ヘ移シ給ヒシ其迹ナルベシ」とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む