豊増昇(読み)トヨマス ノボル

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊増昇」の解説

豊増 昇
トヨマス ノボル


職業
ピアニスト

肩書
日本芸術院会員〔昭和37年〕

生年月日
明治45年 5月23日

出生地
佐賀県

学歴
東京音楽学校〔昭和10年〕卒

経歴
田中規矩士、レオ・シロタらに師事。昭和8年デビュー・リサイタル。12年渡欧、13年ベルリンでヨーロッパでのデビュー。同年帰国、お茶の水女子大、18年から母校東京音楽学校教授戦後は21年京都芸術大学、次いで武庫川女子大で後進の指導に当たった。その間、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を5回、バッハの死後200年を迎えた25年にはピアノ全作品の連続演奏を行った。また31年日本人として初めてベルリン・フィルハーモニー管絃楽団の定期演奏会に出演。35年芸術院賞受賞、37年同会員。39年から国際バッハコンクール審査員を3回務めた。

受賞
日本芸術院賞〔昭和35年〕

没年月日
昭和50年 10月9日 (1975年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「豊増昇」の解説

豊増 昇
トヨマス ノボル

昭和期のピアニスト



生年
明治45(1912)年5月23日

没年
昭和50(1975)年10月9日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
東京音楽学校〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和35年〕

経歴
田中規矩士、レオ・シロタらに師事。昭和8年デビュー・リサイタル。12年渡欧、13年ベルリンでヨーロッパでのデビュー。同年帰国、お茶の水女子大、18年から母校東京音楽学校教授。戦後は21年京都芸術大学、次いで武庫川女子大で後進の指導に当たった。その間、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を5回、バッハの死後200年を迎えた25年にはピアノ全作品の連続演奏を行った。また31年日本人として初めてベルリン・フィルハーモニー管絃楽団の定期演奏会に出演。35年芸術院賞受賞、37年同会員。39年から国際バッハコンクール審査員を3回務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊増昇」の解説

豊増昇 とよます-のぼる

1912-1975 昭和時代のピアニスト,音楽教育者。
明治45年5月23日生まれ。高折宮次,シロタらに師事。昭和11年ドイツに留学,18年母校東京音楽学校(現東京芸大)の教授。バッハのピアノ曲全作品,ベートーベンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会をおこなった。36年芸術院賞,37年芸術院会員。昭和50年10月9日死去。63歳。佐賀県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「豊増昇」の解説

豊増 昇 (とよます のぼる)

生年月日:1912年5月23日
昭和時代のピアニスト。東京音楽学校教授
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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