豊浦新田(読み)とようらしんでん

日本歴史地名大系 「豊浦新田」の解説

豊浦新田
とようらしんでん

[現在地名]宇和島市三浦東

幕末期に、両三浦庄屋田中九兵衛が開発した新田。現在もその形状をとどめ、水路・潮遊びなども残っている。

田中家は、天保一四年(一八四三)六月豊浦荒田を新田に修復し、弘化三年(一八四六)九月、一町七反二〇歩が鍬下期間三年を認められる。嘉永六年(一八五三)にはさらに一町八反二畝一歩が開発され、前者上新田後者下新田とよんだ。この干拓による造成地では反当り一石三斗の米が収穫され、これは宇和島藩内の水田のなかでも生産性の高いものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む