貝家村(読み)かいげむら

日本歴史地名大系 「貝家村」の解説

貝家村
かいげむら

[現在地名]四日市市貝家町

小古曾おごそ村の西に位置する。当村の東方足見あしみ川と内部うつべ川が合流する。江戸時代は、初め亀山藩領、享保一一年(一七二六)以降上総一宮藩領、寛政一〇年(一七九八)再び亀山藩領となる。延宝四年(一六七六)の戸数五九、うち本役二四・無役三五、人数二九四。牛一二、馬五。享保一五年では戸数七五、人数三二七。村域は東西六〇間、南北一二〇間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む