貝山村(読み)かいやまむら

日本歴史地名大系 「貝山村」の解説

貝山村
かいやまむら

[現在地名]三春町貝山

三春城下の南にあたり、江戸へ至る参勤道(県道須賀川―三春線)の東側。永禄四年(一五六一)六月二三日の熊野山新宮年貢(仙道田村荘史)に「かい山」、天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「海山」、同一八年一〇月九日の熊野新宮領差出帳(片倉文書)に「貝山」とみえ、紀州熊野新宮への年貢は六段・六〇〇文であった。慶安二年(一六四九)の三春領古城絵図(三春町史)の貝山館に「城主貝山藤兵衛」とあり、山崎やまざき東田ひがしたにまたがる丘陵に貝山館跡がある。貝山氏は「伊達世臣家譜」の貝山家譜によれば、河内信全を祖とし、天正年中貞信が田村常盤ときわ郷貝山城に住し、慶長三年(一五九八)四代信広が伊達政宗に従い、岩手山いわでやま(現宮城県岩出山町)に移ったという。わずか二五年間に四代を重ねることには疑問が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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