日本歴史地名大系 「三春町」の解説 三春町みはるまち 福島県:田村郡三春町面積:七二・七六平方キロ田村郡の西部に位置し、東は船引(ふねひき)町、西から南は郡山市、北は安達郡岩代(いわしろ)町・白沢(しらさわ)村に接する。阿武隈高地の西部低丘陵地に立地し,移(うつし)川・八島(やしま)川・大滝根(おおたきね)川などの浸食谷川が流れる。JR磐越東線が横断し、三春駅がある。国道二八八号は八島川沿いに磐越東線と並走後、三春市街の南を横断する。町域は古代は安積(あさか)郡、中世は田村庄に属した。南北朝時代には田村庄司一族により支配されていたと思われる。田村庄は紀州熊野新宮(熊野速玉大社)を本所とする庄園で、庄司職は応永(一三九四―一四二八)頃に田村庄司一族から平姓田村氏(三春田村氏)に移ったといわれる(三春町史)。田村氏は天正一八年(一五九〇)所領を没収され、翌一九年以降当町域はすべて会津領となる。寛永四年(一六二七)の蒲生氏の断絶に伴い、ほとんどの村は三春藩三万石領(加藤氏―松下氏)となる。これらは正保元年(一六四四)松下長綱の改易に伴い幕府領、翌二年秋田氏の三春入封により三春藩領となる。 三春町みはるちよう 愛媛県:松山市松山城下三春町[現在地名]松山市緑町(みどりまち)二丁目・平和通(へいわどおり)二丁目松山城下町の北東部、城(しろ)山の周辺部に位置し、琢(みがき)町・通(とおり)町に平行して東西に通ずる町筋。東は壱万(いちまん)町、西は水口(みなくち)町、南は琢町、北は通町に接する。元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「惣町数七拾壱町」のなかに町名がなく、各種の城下町図にも記載されていないことから考えると、江戸時代の後期に町名が公称されたのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三春町」の意味・わかりやすい解説 三春〔町〕みはる 福島県中部,郡山盆地の北東方にある町。 1889年町制。 1955年中郷 (なかさと) ,沢石,要田 (かなめた) ,御木沢 (おぎさわ) ,中妻 (なかつま) の5村と合体。町名は春にウメ,サクラ,モモの花が一時に咲くことに由来。中心地区は江戸時代に秋田氏が築城して以来,城下町として発達。狭い谷底にあり,当時の形態が残る。町域は阿武隈高地に属する丘陵地が広く,特産のウマは三春駒として知られたが,現在はウシの飼育が盛ん。丘陵地の畑地ではタバコの栽培が行われている。伝統工芸の三春駒,三春人形は有名。樹齢約 450年の三春滝ザクラは天然記念物。化学,繊維工場が立地し,郡山市にも隣接するため,住宅地化が進んでいる。南部に三春ダムが建設され,96年から試験湛水が開始された。 JR磐越東線,磐越自動車道,国道 288号線が通る。面積 72.76km2。人口 1万7018(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by