貝梅村
かいばいむら
[現在地名]穂高町大字穂高 貝梅
烏川の自然堤防上にある段丘上から土師器と竪穴住居跡が発見されている。文献上の初見は明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)で、「萱灰雨条」とある。
文禄年代(一五九二―九六)に成立した筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附には、橋爪貝梅村(村高一一一石)とある。享保九年(一七二四)の絵図(二木幹夫氏蔵)によると、烏川が貝梅の南を本流としていたことがあることから、当時烏川は当村の南を流れていたものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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