負村(読み)おふえぴらむら

日本歴史地名大系 「負村」の解説


おふえぴらむら

[現在地名]中川なかがわ郡本別町勇足元町ゆうたりもとまち西勇足にしゆうたり西美里別にしびりべつ美蘭別びらんべつ

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正四年(一九一五)まで存続した中川郡の村。本別村の南、利別としべつ川中流域西岸にあり、南は勇足いさみたら村・幌蓋ぽろけなし村、南東嫌侶きろろ村。利別川沿岸を除くと十勝台地で、蘭辺らうんべ川が北西から南東に向けて流れ利別川に合流する。近世はトカチ場所のうち。「戊午日誌」(報十勝志)に記される「ウイヒラ」が当地にあたるとみられ、「本名はヲフイヒラといへるよし也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む