日本歴史地名大系 「貫見村」の解説 貫見村ぬくみむら 山形県:西村山郡大江町貫見村[現在地名]大江町貫見月布(つきぬの)川が大きく曲流し、北から小柳(こやなぎ)沢、南から小清(こせい)川が合流する小盆地。東の月布村から西の沢口(さわぐち)村を経て出羽三山に至る通称湯殿山街道に沿う。天文本大江系図(菅井半五郎氏旧蔵文書)の異筆の奥書に「高基 於同郡貫見村松田彦次郎館自殺」と記され、天正一二年(一五八四)最上勢に追われた大江高基が自害した。松田彦次郎は「寒河江秘鑑」に「貫見楯持」とある。彦次郎の子角助は、慶長七年(一六〇二)最上家親から五三〇刈の散田を安堵されている(「最上家親安堵状」大泉文書)。それ以前から当地は寒河江(さがえ)庄に属し、大江氏の拠点で、元弘年中(一三三一―三四)広顕の三男懐顕は貫見四郎の号をもち、弟政顕は貫見の要害(ようがい)館に居住したという(「大沼大行院大江系図」大行院文書)。最上氏領から元和八年(一六二二)幕府領山形藩預地、寛永一三年(一六三六)代官が派遣され直轄支配となり、以後幕末まで続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by