賀田城跡(読み)かたじようあと

日本歴史地名大系 「賀田城跡」の解説

賀田城跡
かたじようあと

[現在地名]尾鷲市賀田町

東禅とうぜん寺の西裏山の独峰、通称じようヶ峰にある。江戸末期の賀田村地図(榎本家蔵)には天守閣のような建物が描かれている。天文(一五三二―五五)頃、賀田村は有馬ありま(現熊野市)を中心に一帯を領した有馬氏の支配下に置かれ、賀田村荘官として有馬氏より派遣された榎本三左衛門具行が築城。「紀伊続風土記」は「先祖榎本三左衛門具行は新宮穂積三党の内、榎本出雲守の子孫にて、天文の頃当村に来り、其子兵部光義荘官を勤む」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 検地役人

関連語をあわせて調べる

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む