和歌山藩が編纂した紀伊国の地誌。〈きいしょくふどき〉ともいう。仁井田好古を総裁とし,仁井田長群,本居内遠,加納諸平らが協力し,1839年(天保10)完成。97巻,付録17巻および高野山の部81巻からなり,計195巻。1806年(文化3)より編纂に着手し,3年後に紀北4郡の調査を終えたが,その後長い中断があり,31年再開し,8年後に完成。藩領諸村の地誌を詳細に記述するほか,高野山とその寺領にも多くの紙数をあて,付録として古文書を収録するなど,近世の数ある地誌のうちでも白眉である。1910年和歌山県神職取締所から5冊本として刊行。その後2度にわたる復刻本もある。また高野山の部のみは,新版が《続真言宗全書》に収められて公刊中。
執筆者:小山 靖憲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
幕末の紀伊藩の地誌。本編97巻、付録は古文書と神社が17巻、高野山(こうやさん)60巻、総分方21巻、聖方からなる。1806年(文化3)に幕府の命を受け、紀伊藩は儒者仁井田好古(にいだこうこ)を編纂(へんさん)主任に任命して編纂を始め、一時中断後1839年(天保10)に仁井田が序文を書いている。各郡の総論に続いて、古郷名、村名、田畑総数などをあげ、ついで各荘(しょう)名ごとに当時のすべての村々の村高、戸数、沿革、旧家などに至るまで編述している。
[安藤精一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…和歌山藩が編纂した紀伊国の地誌。〈きいしょくふどき〉ともいう。仁井田好古を総裁とし,仁井田長群,本居内遠,加納諸平らが協力し,1839年(天保10)完成。97巻,付録17巻および高野山の部81巻からなり,計195巻。1806年(文化3)より編纂に着手し,3年後に紀北4郡の調査を終えたが,その後長い中断があり,31年再開し,8年後に完成。藩領諸村の地誌を詳細に記述するほか,高野山とその寺領にも多くの紙数をあて,付録として古文書を収録するなど,近世の数ある地誌のうちでも白眉である。…
…18歳のとき紀州和歌山の医師加納伊竹の養子となる。本居大平に国学を学び,和歌山藩の藩命を受けて《紀伊続風土記》《紀伊国名所図会》の編集にあたり,のち藩に国学所が開設されるやその総裁となった。歌論の考究にも努め,晩年は〈万葉英風の道〉を目ざした。…
※「紀伊続風土記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新