尾鷲市(読み)オワセシ

デジタル大辞泉 「尾鷲市」の意味・読み・例文・類語

おわせ‐し〔をわせ‐〕【尾鷲市】

尾鷲

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「尾鷲市」の解説

尾鷲市
おわせし

面積:一九六・一〇平方キロ

三重県の南部にある。北西大台おおだいはら山を主峰とする台高だいこう山脈の一〇〇〇メートル級の山々がめぐり、森林地帯を形成するとともに、その先端が直接熊野灘に達してリアス海岸となる。北西を山に囲まれ、東南は黒潮の流れる海に面するため四季温暖の地であり、絶好の漁場となっている。海岸は北より須賀利すがり湾・尾鷲湾九鬼くき湾・早田はいだ湾・輪内わうち(賀田湾)となり、それぞれの湾に河川が注ぐ。集落はいずれも海浜近くに集まり、当市には内陸部の集落はない。年間雨量は四〇〇〇ミリを超えるが、河川は直接海に注ぐ急流のため、洪水による被害はまれである。

貞和二年(一三四六)四月二〇日の荘司文書(荘司都盛氏旧蔵)に「木本の庄司職の事によりて嶋方々の御寄合の事」が記され、「おハしの浦の三浦の窪の豊浦左衛門との(中略)おハしの世古嘉仁衛門」とあって、「おハし」(尾鷲)とみえる。「紀伊続風土記」は尾鷲の名義は不詳としながらも、「大輪内おおわうちのつまりたるなるへし」といい、また「水地浦は尾鷲の本村なりと里伝にいへれは、山の尾端おはしにあるより称したる村名なり」と二説を立てている。

〔原始・古代〕

尾鷲湾南岸に向井むかい大曾根おおそねの両遺跡があり西岸に矢の浜やのはま遺跡がある。早田湾北岸遺跡、輪内湾南岸に曾根遺跡があり、いずれも縄文遺跡である。向井・大曾根両遺跡は早期末、矢の浜は中期・後期の遺跡、早田は早期の遺跡である。市内遺跡の早期末の遺物としては、粕畑かすはたうえやま入海いりみなど名古屋市周辺の貝塚から出土した土器と同種のものが多い。曾根遺跡では縄文から鎌倉時代に至る多様な遺物を出土した。

大化二年(六四六)の国郡制定に伴い市域は志摩国英虞あご郡に属し、英虞郡の最南端に位置した。

〔中世〕

伊勢神宮領が多く、「神鳳鈔」に中井須山なかいすやま(中井浦)南浜みなみはま(南浦)焼野やけの(矢ノ浜村)村嶋むらしま(向井村)比志加ひじか(九木浦)佐和さわ・須賀利(須賀利浦)などの御厨が記されている。これらは三木みき崎を境として北側の地域に限られ、南は熊野権現の勢力下にあった。馬越まごせ峠を越えて当市域に入った熊野街道は、南下して険阻な八鬼やき山道を越え、九木くき峠・三木峠を経て甫母ほぼ峠越えで二木島にぎしま(現熊野市)に抜ける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾鷲市」の意味・わかりやすい解説

尾鷲〔市〕
おわせ

三重県南部,熊野灘にのぞむ市。 1954年尾鷲 (おわし) 町と須賀利,九鬼,北輪内,南輪内の4村が合体,「おわせ」として市制。市域の大部分は紀伊山地が海に迫る急峻な山地で,居住地はリアス海岸の小湾奥の狭い平地に点在。中心市街地の尾鷲は尾鷲湾の奥にあり,古くから熊野灘廻船の避難港,尾鷲材と呼ばれるヒノキの小径丸太の積出港,また漁業基地として知られ,南北朝時代から江戸時代にかけて勇名をはせた九鬼水軍の本拠地でもあった。現在尾鷲港は重要港湾に指定され,遠洋漁業の基地であるほか,火力発電所と燃料供給のための石油基地が立地。ほかに地方港湾として三木里,賀田の2港,漁港として9港があり,ブリの定置網,ハマチ養殖などが行われる。一帯は日本有数の多雨地帯で,太い幹の竹林や九木 (くき) 崎の南方系植物群落などが特色。九鬼町の九木神社樹叢は天然記念物。山地では林業が行われ,尾鷲材を産出。海岸付近一帯は吉野熊野国立公園に属する。 JR紀勢本線,国道 309,311号線が通じる。面積 192.71km2。人口 1万6252(2020)。

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