賢堂村(読み)かしこどうむら

日本歴史地名大系 「賢堂村」の解説

賢堂村
かしこどうむら

[現在地名]橋本市賢堂

紀ノ川南岸、国城(くにぎ)山北麓にあり、東は向副(むかそい)村。「続風土記」は「旧は向副村の支郷なり」と記す。相賀庄惣社大明神神事帳写(相賀大神社文書)所収の正平二一年(一三六六)頃の御供田作人之事によれば、相賀大(おうがだい)神社御供田一反が「賢堂城ノウラ」にあった。応永二年(一三九五)一二月一〇日付の相賀庄在家帳(又続宝簡集)に「賢戸」の在家四宇がみえる。古くは密厳院領相賀庄のうちで、後醍醐天皇のいわゆる元弘の勅裁以降、高野山領相賀南庄に属した。

近世は高野山行人領で元和一〇年(一六二四)の地詰清水領高(萱野家文書)によれば村高五八石余、人数は一九二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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