元弘(読み)げんこう

精選版 日本国語大辞典 「元弘」の意味・読み・例文・類語

げんこう【元弘】

鎌倉末期、後醍醐天皇の代の年号。元徳三年(一三三一)八月九日疾疫により改元。元弘三年(一三三三)五月鎌倉幕府滅亡。同四年正月、建武と改元。出典は「芸文類聚」の「老人星体色光明、嘉古元吉、弘無量之裕、降克昌之祥、普天同慶率土合歓」。

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デジタル大辞泉 「元弘」の意味・読み・例文・類語

げんこう【元弘】

鎌倉末期、後醍醐天皇の時の年号。1331年8月9日~1334年1月29日。

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日本の元号がわかる事典 「元弘」の解説

げんこう【元弘】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1331年から1334年まで、後醍醐(ごだいご)天皇の代の元号。前元号は元徳(げんとく)。次元号は建武(けんむ)。1331年(元徳3)8月9日改元。『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』を出典とする命名。元弘年間の鎌倉幕府の将軍は守邦親王(もりくにしんのう)(9代)、執権北条(赤橋)守時(もりとき)(16代)。1324年(正中1)の正中の変に続き、1331年(元徳3)に後醍醐天皇を中心とした2度目の討幕計画が発覚した。後醍醐は三種の神器を持って京都を脱出、笠置(かさぎ)山で挙兵・籠城した。「元弘」への改元はその最中に行われたため、大覚寺統(だいかくじとう)の後醍醐と対立する持明院統(じみょういんとう)や鎌倉幕府はこの改元を認めず、引き続き「元徳」を使用した。同年9月に笠置山は落城、後醍醐は捕らえられて廃位となり、持明院統の光厳(こうごん)天皇が即位して翌年、正慶(しょうきょう)と改元した。1333年(正慶2/元弘3)には反幕勢力が各地で蜂起、140年余続いた鎌倉幕府が滅亡した。光厳の退位にともない正慶の元号も廃され、元弘に復帰した。

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