赤名峠国境番所跡(読み)あかなとうげこつきようばんしよあと

日本歴史地名大系 「赤名峠国境番所跡」の解説

赤名峠国境番所跡
あかなとうげこつきようばんしよあと

[現在地名]布野村横谷

旧雲石路の出雲国と備後国との国境より五〇〇メートルほど南、広島藩最後の一里塚と往還路を隔てて所在した。宝暦九年(一七五九)・寛政一三年(一八〇一)および文化八年(一八一一)の御境番人住居建替願書付(長岡家文書)によると、梁二間半・桁八間の建物に地元農民が任命された番人二世帯が住んでおり、往還路に面した壁には藩の定めた掟書が張出してあった。国境番人には文化七年当時、一人に五石七斗の給米が三月・七月・一一月の三回に分けて支給され(同文書)、この給米は広島藩の七厘米で賄われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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