デジタル大辞泉 「間道」の意味・読み・例文・類語
かん‐とう〔‐タウ〕【間道/漢島】
[補説]「広東」「漢東」「漢渡」「間綯」などとも書く。
「かんとう」ともいい、広東、漢島、漢東などの文字があてられる。室町時代から江戸時代初頭にかけて舶載された縞(しま)・格子の織物で、とくに茶席の裂(きれ)として用いられ、「名物裂(ぎれ)」の名で珍重されてきたものをさす。その多くは中国南部の地方より産出されたと思われる絹の縞織物であるが、なかにはインドやインドネシアでつくられた木綿、あるいは木綿と絹の交織の縞裂も含まれる。たとえば安南の占城(チャンパ)付近から織り出された占城縞、インドのベンガル湾の沿岸地方から織り出された弁柄(べんがら)縞などのあるものには、絹にない粗笨(そほん)な木綿の風趣によって名物間道に入れられているものがある。著名な利休間道や日野間道も、前者は木綿、後者は木綿と絹の交織の縞物である。
間道の名が縞裂の呼称としていつごろから用いられ始めたものか明らかでないが、中国の明(みん)代には「間布」の名があること、また『水滸伝(すいこでん)』中にある「青白間道行纏絞……」の一文が、青と白の縞裂を間道と称していると解されることから、「間道」の名称もまた、縞裂とともに中国からもたらされたものと考えられる。また広東(間道)の名をもつ染織品に、古く飛鳥(あすか)時代の「太子広東(たいしかんとう)」あるいは「広東錦(にしき)」とよばれるものがあるが、これは法隆寺伝来の絣(かすり)織物であり、いわゆる縞の間道類とは時代的にも技術的にも大きな隔たりがあるので、別個に扱われている。
今日「名物間道」として特定の呼称で知られるものは多種あるが、これを縞柄のうえからみると、(1)縦縞のものに鎌倉・海老殻(えびがら)間道など、(2)縦縞に真田(さなだ)風の横筋の入ったものに船越(ふなこし)・弥兵衛(やへえ)・伊藤間道など、(3)真田風の太い格子のあるものに吉野間道、(4)大小縞のものに高木・青木間道など、(5)縦縞と格子の交じるものに青木・望月(もちづき)・船越間道など、(6)よろけ縞のものに日野間道、(7)縦縞に浮文様の入ったものに薩摩(さつま)・相良(さがら)・宮内間道などがある。
[小笠原小枝]
室町から江戸時代にかけて舶載された縞,格子の織物。広東,漢東,漢島,邯鄲とも書く。その多くは中国の南部地方より産出されたと思われる絹の縞織物であるが,名物間道と称されるもののうちには東南アジアの木綿縞なども若干含まれている。間道の名称のおこりは明らかでないが,《水滸伝》中に〈青と白の間道の行纏(こうてん)で脚をしばる〉とあり,青と白の縞裂(しまぎれ)を間道の名で呼んでいたことが知られる。日本には縞裂とともにもたらされた名称であろう。名物裂として珍重され,茶入れの袋または替袋として茶の湯の席に多く用いられた。これら外来の各種の間道は近世の縞織物の発達に大きな影響を与え,今日でも縞織物の範とされている。
→縞 →名物裂
執筆者:小笠原 小枝
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…特に明代には室町幕府による勘合貿易をはじめ,大きな寺社あるいは西国の大名らによる対明貿易が飛躍的に増大し,数多くの染織品がもたらされた。なかでも金襴(きんらん),緞子(どんす),間道(かんとう)といった新しい織物技術や意匠は,当時の日本の染織界に多大の影響を与えるとともに,近世の織物の基盤となったものである。これらの染織品はその舶載当初においては,高僧の袈裟や武将の衣服,猿楽の装束,あるいは寺社の帳(とばり)や打敷(うちしき)として用いられたはずのものである。…
※「間道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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