日本歴史地名大系 「赤地新田・六百新田」の解説 赤地新田・六百新田あかじしんでん・ろつぴやくしんでん 三重県:桑名郡長島町赤地新田・六百新田[現在地名]長島町赤地葭(よし)ヶ須(す)輪中にあり、葭ヶ須新田の西に接し、鰻江(うなぎえ)川を隔てて長島輪中の駒江(こまえ)新田に対する。両新田とも寛文一二年(一六七二)尾州知多(ちた)郡の農民と桑名の町人市岡伝右衛門との共同開発に成る。近世は長島藩領。安政元年(一八五四)赤地新田家数二四、人数一三八。六百新田家数一七、人数九三(伊勢長島誌)。明治八年(一八七五)両新田は合併して赤地新田となった。明治一六年家数五四、人数二五八(桑名郡志)。同二七年の河川改修により集落が新堤防内に移動した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by