赤埴庄(読み)あかばねのしよう

日本歴史地名大系 「赤埴庄」の解説

赤埴庄
あかばねのしよう

興福寺大乗院領荘園。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)

<資料は省略されています>

とある。興福寺北円ほくえん堂は預所であろう。そのほか在地の仏隆ぶつりゆう寺などの得分、下司・公文などの給分もあった。公方分は大乗院門跡分であろう。大字諸木野もろきのの花蔵庵の寺領もあったことがうかがえる。下司赤埴氏は在地武士と考えられる。宇陀郡田地帳案(春日神社文書)には「赤垣あかはね庄田十二町三反 赤垣出羽守当知行 米五十二石八斗九升 除二十五石 南都(瑜)伽論米 残米二十七石八斗九升」とみえる。赤垣氏は赤埴氏のことであろう。瑜伽論米は前記北円堂と関係するものである。

「大乗院雑事記」文明一七年(一四八五)九月三〇日条には「赤填庄之内関事 壱名関ハ大内女房方、内郡(槙カ)野取継三文、下司名関ハ吉野大塔料所、沢出雲取継三文、大窪名関ハ春日御供料所、戒場取継、三文、諸木野名関ハ大乗院進之、自沢取継、二文(下略)」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android