上赤埴村・下赤埴村(読み)かみあかばねむら・しもあかばねむら

日本歴史地名大系 「上赤埴村・下赤埴村」の解説

上赤埴村・下赤埴村
かみあかばねむら・しもあかばねむら

[現在地名]榛原町大字赤埴

高井(たかい)村東方の山村。萩原(はぎはら)村から田口(たぐち)村(現室生村)経由伊勢に至る伊勢本(いせほん)街道は当村を東西に貫通。また古市場(ふるいちば)村(現菟田野町)から室生寺経由大野(おおの)村(現室生村)に出る直線的古道との交差点である。「万葉集」巻七に「倭の宇陀の真赤土(まはに)のさ丹(に)着かばそこもか人の吾を言なさむ」とある。中世には赤埴庄があり、また関所があった。

近世初期は一村の赤埴村で、慶長郷帳の村高三四〇・四石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。寛永一六年(一六三九)から元禄一五年(一七〇二)までに二村に分割、上赤埴村(村高一五〇・八六二石)、下赤埴村(村高一八九・五三八石)となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む