赤尾木村(読み)ほーげむら

日本歴史地名大系 「赤尾木村」の解説

赤尾木村
ほーげむら

[現在地名]龍郷町赤尾木(あかおぎ)

芦徳(あつしよ)村の南東、笠利(かさり)湾の東の入江に位置する。地内に城(ぐすく)などの地名がある。笠利(かさん)間切赤木名(はつきな)方のうちで、「ホゲェ」などともいう。「大島私考」に赤木名方一〇ヵ村のうちとして「赤尾木村」とみえ、高一二八石余、うち享保内検後の開地は九石余。寛政七年(一七九五)大島代官の福山平太夫が見聞役衆と私闘に及び、鹿児島城下から所払となり、結局切腹しているが、瀬名(せな)方からの巡回を終えて赤木名村(現笠利町)の代官仮屋へ帰る途中で、当村の田地地方与人の当摩の宅で馳走を受けた後の出来事であった(大島代官記)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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