赤庄(読み)あかのしよう

日本歴史地名大系 「赤庄」の解説

赤庄
あかのしよう

現赤村一帯に比定される庄園。延慶三年(一三一〇)六月日の因幡彦鶴代兼実申状(本間文書/皇学館大学紀要三六)によると、「赤庄」の地頭因幡彦鶴丸が天雨田あもうだ(現行橋市)の公文憲行と相論しているが、憲行も当庄を本拠地としていたようで、「当庄赤村名内田畠屋敷」について「憲行当居所并下人等在所」との注記がある。同申状に添えて進められた正応二年(一二八九)一二月三日の関東御下知状案により当庄の下地支配が承認されているから、因幡氏東国御家人と考えられる(田川市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む