日本歴史地名大系 「赤童子村」の解説 赤童子村あかどうじむら 愛知県:江南市赤童子村[現在地名]江南市赤童子町〈大堀(おおほり)・大間(おおま)・御宿(おやど)・栄(さかえ)・桜道(さくらみち)・白山(はくさん)・福住(ふくずみ)・藤宮(ふじみや)・南野(みなみの)・南山(みなみやま)・良原(よしはら)〉・赤童子中奈良(なかなら)村の北にあり、本郷は村の南、支郷の北野(きたの)は東北、出郷の大間山(おおまやま)は西にあった(天保村絵図)。ほかに南山という支郷もあった(尾張国地名考)。大間山は中奈良村との地境にあり、中奈良にも大間という支郷がある。「寛文覚書」にも「大満野方七反五畝六歩中奈良・赤童子立合野年貢山方ヘ納ル」とみえる。年代不詳の熱田社領国衙方押妨注文案(猿投神社文書)に「大間郷」、天文一六年(一五四七)曼陀羅寺祠堂年貢注文写(曼陀羅寺文書)に「弐百文大間ヨリ」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by