越部郷(読み)こしべごう

日本歴史地名大系 「越部郷」の解説

越部郷
こしべごう

和名抄」所載の郷。訓は高山寺本・東急本ともに「古之倍」。「播磨国風土記」に越部里があり、安閑天皇の寵人但馬君小津が皇子代君の姓を賜り、「三宅みやけ(屯倉)を同地に置いたので御子代みこしろ村とよんだことに始まるという。「日本書紀」安閑天皇二年五月九日条にみえる播磨国の越部屯倉牛鹿うしか屯倉を置くとの記事に対応する。その後上野大夫が宰の時に「卅戸」で一里を編成したので越部里に改めたという(播磨国風土記)。五〇戸で一里を編成した際、超過した三〇戸で里を編成したので越部里とよんだと解される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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