趙鏞寿(読み)ちょうようじゅ

日本大百科全書(ニッポニカ)「趙鏞寿」の解説

趙鏞寿
ちょうようじゅ / チョヨンス
(1930―1961)

韓国(大韓民国)のジャーナリスト。慶尚南道に生まれ、延禧(えんき)大学を卒業。1951年(昭和26)日本に渡り、明治大学に編入、中退。滞日中は、在日本大韓民国居留民団の活動に携わり、1960年帰国、社会大衆党入党。1961年2月『民族日報』を創刊し、同社社長となった。同年5月の軍事クーデター後、朴正煕(ぼくせいき)政権が言論機関を厳しく弾圧、民族日報社も封鎖され、同社幹部数名とともに逮捕された。1961年8月「日本の朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)から資金を仰ぎ、同紙を発刊、共産主義の助長を図った」との理由で死刑判決を受けた。これに対し、日本を含む世界的な抗議運動が行われたが、同年12月21日死刑を執行された。死後、国際ジャーナリスト機構(IOJ)が国際記者賞を贈呈した。

[鈴木ケイ]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

国民栄誉賞

内閣総理大臣表彰の一つ。1977年内閣総理大臣の福田赳夫の決裁により設けられた。「広く国民に敬愛され,社会に明るい希望を与えることに顕著な業績のあった者」に贈られる。第1回受賞者はプロ野球選手の王貞治...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android