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共産主義 きょうさんしゅぎcommunism

翻訳|communism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

共産主義
きょうさんしゅぎ
communism

語源はラテン語の communis (共同の,共有の) にある。これを最も一般的に定義すると,私有財産制を廃止して,全財産を社会全体の共有にしようとする思想または運動であるといってよい。コミュニズムという用語は,19世紀に成立したが,財産共有の願望は文明の発生とともにあった。その意味で,原始キリスト教やプラトンの『ポリテイア』,T.モアの『ユートピア』,T.カンパネラの『太陽の都』,ディッガーズや G.バブーフの思想などは,いずれも共産主義の先駆であった。だが現代的意味での共産主義はマルクスエンゲルスによって確立されたものである。彼らは共産主義者同盟 (1847設立) の委嘱を受けて『共産党宣言』を起草し,1848年に発表した。これは史的唯物論に基づいて,階級闘争によるプロレタリアートの勝利や共産主義の必然性などを宣言したものである。さらにマルクスは 91年の『ゴータ綱領批判』において,共産主義社会への移行の問題を論じている。すなわちプロレタリア革命後過渡的に「各人が能力に応じて労働し,労働に応じて分配する」を原則とする低次の共産主義段階ないしは社会主義的段階が現れる。その次に「能力に応じて労働し,必要に応じて分配する」を原則とする段階が現れるが,これが高次の共産主義段階であるとされる。しかし総じてマルクスの分析は資本主義のメカニズムの分析が中心であり,彼にとって未来の社会である共産主義社会は明示的に示されることはなかった。その意味で共産主義がコミューンの実現として現実問題化するのはロシア革命の成功とコミンテルンの創設をまつことになる。

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デジタル大辞泉の解説

きょうさん‐しゅぎ【共産主義】

財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。古くはプラトンなどにもみられるが、現代では主としてマルクスエンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想をさす。
マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる。→マルクス主義

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百科事典マイペディアの解説

共産主義【きょうさんしゅぎ】

コミュニズムcommunismの訳。私有財産制を廃止し,生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り,人間社会の諸悪を根絶しようと説く思想または運動。
→関連項目共産党極左冒険主義原始共産制国家清水三男福本和夫マルクス

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうさんしゅぎ【共産主義 communism】

共産主義という言葉は,共有財産を意味するラテン語のcommuneに由来している。共産主義とは,私有財産を否定して財産の共有の状態と,共有財産にもとづく社会・政治体制を実現しようとする思想と運動である。
[思想の系譜]
 共産主義の思想は,人類の歴史と同じように古い。私有財産,貧富の差,支配者と被支配者の対立が発生するとともに,古代ではプラトンの国家論とキリスト教の教義に,中世では修道院の生活と農民一揆の運動の中に,共産主義は多様な形式のもとで出現した。

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大辞林 第三版の解説

きょうさんしゅぎ【共産主義】

財産の私有を否定し、すべての財産を共有することによって、平等な理想社会をつくろうという思想。ギリシャ時代のプラトンあるいはトーマス=モアのユートピアなどにもみられるが、現代では主として、マルクス・エンゲルスにより確立されたマルクス主義思想をさす。
階級対立のない共同社会。広義には、プロレタリア革命によって権力を獲得した労働者階級が生産手段の社会化をなしとげて築く、社会主義と呼ばれる低い段階と、狭義には、そのもとで発展する高い生産力によって、「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という状態が生まれた高い段階の社会をさす。
共産主義社会の実現をめざす思想と運動。 〔城多虎雄「論欧州社会党」(1882年「朝野新聞」)に使われたのがこの語が使用された早い例。「仏和法律字彙」(1886年)に communisme の訳語として載る〕 → 科学的社会主義

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

共産主義
きょうさんしゅぎ
communismeフランス語
communism英語
Kommunismusドイツ語

共産主義ということばはラテン語のコムーネcommuneに由来する。思想としての共産主義、社会主義は18世紀末から19世紀前半の西欧で生まれ、それらは、私有財産制度をなくし、財産をなんらかの共同体(コンミュンcommune)の所有に移すことを主張した。[稲子恒夫]

マルクス、エンゲルスの共産主義

当時はさまざまな共産主義、社会主義の思想があったが、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』(1848)は、封建的社会主義、小ブルジョア社会主義、「真正」社会主義、保守的社会主義またはブルジョア社会主義、批判的・ユートピア的社会主義または共産主義を批判している。資本主義を観念的に否定する初期の共産主義、社会主義と違い、マルクスとエンゲルスは、資本主義の発展法則を解明し、生産力の発展と生産関係の矛盾の結果として、資本主義から共産主義への移行を予測するとともに、共産主義は労働者階級の革命により実現されるという理論を創造し、これにより共産主義の思想を国際的な共産主義運動と結び付けた。
 マルクスとエンゲルスは社会体制としての共産主義を二つの段階に分けた。共産主義の第一段階(現在の用語では社会主義)では、生産手段は国家の手に集中され、したがってその私的所有は廃止されるが、個人への所得の分配は各人の労働に応じて行われ、そのため人々の所得の差は残る。資本主義から共産主義の第一段階への移行期は、労働者階級の政治的支配を意味するプロレタリアート独裁を必要とする。第二段階は、もっと高度な、完全な共産主義である。それは、生産力と人々の道徳が高度に発展し、個人が完全に解放される社会であり、国家にかわる自主管理の組織が社会を管理し、個人への生産物の分配は、各人の必要に応じて行われ、したがって生活における平等が実現する。[稲子恒夫]

ソ連の共産主義

1917年のロシアでの社会主義革命(十月革命)の成功は、共産主義が単なる運動から、共産主義の実現を任務とする国家をもつという新段階が生まれたことを意味する。革命に成功したロシア社会民主労働党(ボリシェビキ)は、1918年に党名をロシア共産党(ボリシェビキ)=のちのソ連共産党に変え、19年に結成の共産主義インターナショナル(コミンテルン。1943年解散)は、加入の各国の党の名称を共産党に統一した。以後は各国共産党の活動が共産主義運動とよばれている。各国の共産主義運動では、長い間、ロシア(ソ連)の革命と社会主義建設が唯一の先例としてモデルの役割を果たしてきた。しかし、ソ連での経験と理論には一般化できない特殊のものが多いことが、通説となっていた。
 マルクス主義の文献でも社会主義と共産主義は厳格に区別されていなかったが、十月革命後は、マルクスのいう共産主義の第一段階を社会主義とよび、共産主義の第二段階だけを共産主義とよぶようになった。革命後のロシア(ソ連)で当面の課題になったのは、社会主義の建設であったが、この事業は、戦争で破壊された国民経済の復興、重工業の育成による経済的後進性の克服とあわせて行われたし、とくに膨大な数の農民経営を社会主義的経営に統合することは、レーニンが指導した1920年代初期には長期間を必要とすると考えられていた。実際にはスターリンの指導のもとに、1920年代の終わりから30年代の初めにかけて、国民経済の工業化が達成され、個人農経営を一挙に生産農業協同組合であるコルホーズに統合する政策も強行され、30年代なかばにはソ連では国民経済の全分野に社会主義体制ができあがった。こうして生まれた社会主義体制は多くの問題を抱えており、そのためスターリンの指導のもとに制定された1936年のソ連憲法は、社会主義体制の強化について記したが、次の課題である共産主義建設については記さなかった。
 共産主義建設を最終課題としたソ連の政治システムも、ソ連の置かれた状況に左右されてきた。革命直後に示されたモデルは、国家の組織を勤労者自身の組織として編成することであり、勤労者が単に議員を選挙するだけでなく、全住民が日常的に国家の統治に参加し、これにより官僚主義をなくし、国家の死滅を用意するということであった。同時に革命直後の困難な政治状況のなかで、強固なプロレタリアート独裁の確立という現実的な要請が優先し、そのため民主主義の制限が行われた。1936年のソ連憲法は、これらの制限をなくし、選挙中心の民主主義的制度を定めたが、個人が統治に直接に参加することは記さなかった。この憲法の施行後も、スターリンはソ連が依然としてプロレタリアート独裁の国家であると主張し、彼の指導のもとで憲法の民主的諸規定は守られず、個人の政治的権利も尊重されず、そのため行政機構中心の官僚主義的な統治体制がつくられた。
 1953年のスターリンの死後のソ連では、憲法の定める社会主義的民主主義の遵守の必要が強調されたが、一歩進んでソ連共産党はフルシチョフの指導のもとに、59年にソ連が共産主義の全面的建設期にあるという命題を採択し、同党の61年の綱領はプロレタリアート独裁の終了を確認するとともに、共産主義への移行の20か年計画を決めた。これによると、国民経済の急速な発展によりソ連は1980年に、国民1人当りの所得で世界一になり、この時点で日常生活に必要な消費財の3分の1が無料分配される。この党綱領によると、国家の若干の機能、とくに社会秩序維持機能が、自発的に組織された社会的自主管理機関に移されていき、これに伴い国家組織が縮小する。また国家機関の公選制が拡大し、同一の人間の多選が制限され、執行機関の構成員も系統的に入れ替えられ、一般の勤労者が余暇に行政に参加し、有給の公務員の数が減らされる。この過程の進行により国家そのものが社会的自主管理機関に転化していく。しかし党綱領は、共産主義建設での個人の権利と自由の拡大については具体的に記していなかった。
 1964年のフルシチョフの解任後に、ソ連は共産主義の全面的建設期にあるという命題は撤回された。かわりにブレジネフの指導のもとで制定された1976年のソ連憲法は、ソ連が共産主義への移行を準備する発達した社会主義の段階にあり、この段階はかなり長期にわたるという命題を確定し、社会主義的民主主義の発展、社会団体・労働集団・個人の国家と社会の業務の管理への参加の拡大、効率の高い経済管理の実現、個人の権利と自由の発展などを課題として掲げた。しかし憲法の施行後、国民経済の管理の改革、個人の権利と自由の保障のための改革は進まなかった。1983年にアンドロポフの指導のもとにソ連共産党中央委員会総会は、ソ連が発達した社会主義のまだ出発点にあるにすぎず、発達した社会主義の改善が戦略的課題であることを決めた。またアンドロポフは、民主主義的な制度の運営が形式的なものになっている状態に宣戦を布告しなければならないと語った。1984年の彼の死後チェルネンコにも、その路線は継承された。このような状況のソ連では、将来の共産主義についての先走った議論はなくなり、1991年ソ連は崩壊した。[稲子恒夫]

ヨーロッパの共産主義

チェコスロバキアの1960年憲法は共産主義建設を直接の課題として掲げたが、それはまったくの時期尚早のものであった。1968年のチェコ事件、80年代初めのポーランド情勢(自主管理労組「連帯」の誕生、それに続く軍政の実施)は、社会主義体制の改革を怠ることは深刻な政治危機をもたらすことを示した。大半の東欧諸国は改革を志向したが、そのなかでハンガリーは、工場内の民主主義を政治生活の基礎に置くことにより、政治生活の活性化を図った。旧ユーゴスラビアは1950年代以来、企業の自主管理組織を全政治システムの基礎に置いてきた。
 ソ連、東欧諸国では共産党の強力な指導体制が確立していた。若干の東欧諸国は複数政党制をとっていたが、共産党以外の政党の地位は低かった。また個人の真の自由は、集団と組織を通しての政治への参加により実現されるという考えが支配的になっており、これと対照的に、出版の自由その他の政治的自由は十分には保障されていなかった。このような状態の社会主義に対して西欧諸国と日本の共産党は批判的であり、1970年代に、複数政党、とくに野党が存在し、政治的自由が完全に保障された社会主義を目ざす「ユーロコミュニズム」の潮流が現れた。しかし、1980年代後半に東欧諸国は民主化し、共産主義を放棄した。[稲子恒夫]

中国の共産主義

中国では、1949年の中華人民共和国の成立以後、着実にゆっくりと社会主義を建設するという路線と、急激な社会主義化を主張する毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の路線が対立し、58年に毛沢東の指導のもとに、農村を一挙に共産主義化する路線が強行された。すなわち、農民は軍隊をモデルにした巨大な人民公社に組織され、号令に従い農作業が行われ、食事も集団で無料で行われるという、いわゆる兵営式共産主義が実行された。この措置は農業生産の破壊をもたらし、その収拾をめぐり中国共産党の指導部は分裂し、1966年に毛沢東派は「文化大革命」による反対派の弾圧を始めた。1976年の毛沢東の死後、中国共産党は毛沢東主義から離れ、工業、農業、国防、科学技術の「四つの近代化」の路線を掲げたが、政治の近代化は掲げていない。毛沢東の時代には、日本を含む各国の左翼に中国の礼賛者が生まれたが、毛沢東後の中国は外国に対するイデオロギー的影響力をなくしている。[稲子恒夫]
『マルクス、エンゲルス著、大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』(岩波文庫) ▽マルクス、エンゲルス著、ML研究所訳『共産党宣言 共産主義の原理』(大月書店・国民文庫) ▽マルクス著、望月清司訳『ゴータ綱領批判』(岩波文庫) ▽エンゲルス著『空想から科学へ』(大内兵衛訳・岩波文庫/寺沢恒信訳・国民文庫) ▽レーニン著『国家と革命』(宇高基輔訳・岩波文庫/レーニン全集刊行委員会訳・国民文庫) ▽山中隆次「マルクス主義」、稲子恒夫・加藤哲郎「現代の社会主義」(『社会思想事典』所収・1982・中央大学出版部) ▽G・マルチネ著、熊田亨訳『五つの共産主義』上下(岩波新書) ▽R・メドヴェーデフ著、石堂清倫訳『共産主義とは何か』上下(1974・三一書房)』

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世界大百科事典内の共産主義の言及

【コミンテルン】より

…戦間期から第2次世界大戦半ばにかけ国際共産主義運動に君臨した指導・統制センターであった〈共産主義インターナショナルCommunist International〉(ロシア語ではKommunisticheskii Internatsional)の略称。
【歴史】

[創設]
 労働運動,労働者政党の国際的組織化をめざす試みはすでに1840年代のヨーロッパにみられたが,その後労働運動の発展と社会主義政党の成長とともに,第一インターナショナル(1864‐76),第二インターナショナル(1889‐1914)が誕生した(インターナショナル)。…

【社会主義】より

…しかし近代的な意味での社会主義という用語は,およそ1830年前後に,フランスではフーリエサン・シモン,イギリスではオーエンの思想を指す言葉として最初に登場する。他方で1840年代のパリでは,徹底した財産の共有と国家権力の奪取をめざす共産主義者の結社が生まれており,1848年にマルクスがイギリスの経済学,フランスの社会主義をドイツの観念論哲学と批判・融合して《共産党宣言》(エンゲルスと共著)を発表し,マルクスはそれまでの社会主義を空想的社会主義と呼んでみずからの科学的社会主義をそれに対置させた。それまでの社会主義が資本主義の悪弊にたいして人間主義的,道徳的な非難を向けたのにたいして,マルクスは過去の歴史と資本主義の現実にたいする科学的分析のうえに社会主義を構想した。…

【バブーフ】より

…フランス革命の末期に,一種の共産主義思想を抱いて政府転覆事件を起こした革命家,思想家。古代ローマの改革者グラックス兄弟の名をとって,みずからグラックス・バブーフと名のった。…

【マルクス】より

…ドイツの共産主義思想家・運動家,いわゆるマルクス主義の祖。
[略伝]
 ライン・プロイセンのトリール市でユダヤ人の家庭に生まれた。…

※「共産主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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