日本歴史地名大系 「足利尊氏館跡」の解説 足利尊氏館跡あしかがたかうじやかたあと 京都市:中京区初音学区杉屋町足利尊氏館跡「太平記」巻一四、建武二年(一三三五)一一月八日の新田義貞東国進発の記事に「義貞節度ヲ給テ、二条河原ヘ打出テ、先尊氏卿ノ宿所二条高倉ヘ舟田入道ヲ指向テ、時ノ声ヲ三度挙サセ、流鏑三矢射サセテ、中門ノ柱ヲ切落ス」と記され、二条高倉小路の地に足利尊氏館があったことが知られる。「建武三年以来記」には「等持院殿、於二条万里小路第御他界」とあり、延文三年(一三五八)四月三〇日に尊氏が没したのはこの屋敷においてである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by