天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の都市改造に際して開かれた通りで、現在の中・下京区を南北に貫通し、
「京羽二重」には「松原通ヨリ南へ七条通まで因幡堂つきぬけとをりともあかずのもん通共云」とある。車屋町通の名称由来を「坊目誌」は「天正以来、車輛製造の者此街の南に住居せしより名とす。一に車屋町突抜と称せしと」と記し、不明門通については、同書に「松原の北に因幡堂平等寺あり。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...