デジタル大辞泉 「車屋町通り」の意味・読み・例文・類語 くるまやちょう‐どおり〔くるまやチヤウどほり〕【車屋町通り】 京都市中京区を南北に走る道路の呼び名。北の丸太町通りから南の姉小路あねやこうじ通りに至る。全長約800メートル。豊臣秀吉によって新設されたといわれる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「車屋町通り」の解説 車屋町通くるまやちようどおり 京都市:中京区車屋町通天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の都市改造に際して開かれた通りで、現在の中・下京区を南北に貫通し、東洞院(ひがしのとういん)通の西に位置する。姉小路(あねやこうじ)と松原(まつばら)通間は中断。松原通以南は、別に不明門(あけず)通とよばれる。「坊目誌」は「始め出水まで通ぜしが、宝永五年皇宮地に入るを以て、丸太町まで閉塞す。其地にありし、町民を二条川東に移転せしむ。新車屋町即ち之れなり」と記す。「京羽二重」には「松原通ヨリ南へ七条通まで因幡堂つきぬけとをりともあかずのもん通共云」とある。車屋町通の名称由来を「坊目誌」は「天正以来、車輛製造の者此街の南に住居せしより名とす。一に車屋町突抜と称せしと」と記し、不明門通については、同書に「松原の北に因幡堂平等寺あり。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by