日本歴史地名大系 「車返村」の解説 車返村くるまがえしむら 東京都:府中市車返村[現在地名]府中市白糸台(しらいとだい)二―六丁目・押立町(おしたてちよう)一―二丁目・朝日町(あさひちよう)一―三丁目・多磨町(たまちよう)一―二丁目・同四丁目・清水が丘(しみずがおか)三丁目・小柳町(こやなぎちよう)一丁目・紅葉丘(もみじがおか)二―三丁目上染屋(かみそめや)村の東にあり、東は上石原(かみいしわら)宿・上飛田給(かみとびたきゆう)村(現調布市)・押立村山谷(さんや)。古くは白糸村とよばれたといわれ、分倍(ぶばい)河原にあったが、多摩川の水害で土地を失い段丘上の現在地へ移ったと伝える(風土記稿)。応永一九年(一四一二)九月一一日、この地で十三部経供養の卒塔婆が造立された際、深大(じんだい)寺(現調布市)の僧長弁が作成した意趣書(私案抄)に「車反」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報