日本大百科全書(ニッポニカ) 「輝県古墓」の意味・わかりやすい解説
輝県古墓
きけんこぼ
中国、河南(かなん/ホーナン)省北部の輝県(きけん/ホエイシェン)県城付近に分布する戦国時代を中心とした壙墓(こうぼ)群の総称。1930年代から調査されていたが、50~52年に中国社会科学院考古研究所が3次の調査を行った。琉璃閣(るりかく)(殷(いん)・戦国・漢)、固圍(こい)村(戦国)、趙固(ちょうこ)(戦国)、褚邱(ちょきゅう)(殷・戦国)、百泉(ひゃくせん)(後漢(ごかん))の5区に及び、殷代の灰坑(地下貯蔵穴)、殷・戦国・漢の墳墓を発掘した。戦国時代の大小の墳墓の各種の墓室の構造、葬法を明らかにするとともに、19の木車を出土した車馬坑(琉璃閣)、埋玉祭坑(固圍村1号)、墓上建築遺構(固圍村2号)を検出した。多量の鉄器、車具、馬飾りのほか、錯金(さくきん)馬頭形(ながえ)飾り、嵌玉(かんぎょく)包金銀帯鉤(たいこう)、大玉璜(だいぎょくこう)、刻文燕楽射猟銅鑑(こくもんえんがくしゃりょうどうかん)などの逸品を出土している。
[下條信行]