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葬制 そうせい funerary rites and customs

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

葬制
そうせい
funerary rites and customs

人の死後,遺体を処理する方法 (葬法) ,およびそれに関連する儀礼,観念の総称。葬法には,遺棄葬 (→埋めない埋葬 , 死体放棄 ) ,風葬鳥葬など,できるだけ早く死者との接触を断とうとする葬法と,複葬,遺骨保存,洗骨,遺体乾燥など,死者との接触を可能なかぎり存続させようとする葬法がある。

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デジタル大辞泉の解説

そう‐せい〔サウ‐〕【葬制】

葬送に関する制度・習慣。風葬・水葬・土葬・火葬など、民族の生活様式や慣習または信仰形態に対応して、種々の様相を呈する。

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百科事典マイペディアの解説

葬制【そうせい】

死者の弔葬に関する制度・慣習。葬礼,葬法,墓制,服喪,死者の財物の処分法などを含むが,なかでも葬法が重要な位置を占める。現在キリスト教イスラム教では土葬,仏教では火葬が正葬とされるが,世界各地には,このほか風葬(鳥葬),ミイラ葬,水葬なども見られ,さらに土葬,風葬の場合は死体の姿勢によって屈葬伸展葬が区別される。
→関連項目散骨葬式墳墓

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世界大百科事典 第2版の解説

そうせい【葬制】

人間の死は自然的・生物学的な現象である以上に文化的・社会学的な現象である。知られているすべての人類社会において,死はそれぞれの社会に固有の文化的意味づけを与えられている。この意味づけは,一方では死生観,他界観,終末論などの観念体系によって,他方では象徴的行動すなわち儀礼の存在によって支えられている。葬制とはこうした死を契機として行われる一連の儀礼にほかならず,したがってこれを死者儀礼と呼ぶこともできる。

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大辞林 第三版の解説

そうせい【葬制】

死を取り扱う方式。火葬・土葬・水葬・風葬・鳥葬などの葬法や死者儀礼などが含まれ、各民族のもつ死生観・霊魂観・他界観などにより多様な形態がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

葬制
そうせい

人が死んだあと、その死体を処理する方法や、それに関連した儀礼、習慣、観念の総称。死は単なる個人のできごとではなく、社会の一員としての個人の死であるから、葬儀は社会的な制度であり、葬制は一つの社会が死者に対してとる行動全体ということができる。
 一個人は一生の間に、出生、結婚などいくつもの関門を通るが、最後の関門が死である。これら関門の通過にあたって行われる儀礼は通過儀礼とよばれるが、葬儀もその一つである。通過儀礼を行うことによって、個人はいままで属していた状態や集団から離脱して、新しい状態や集団に入るが、葬儀によって、個人は生の状態から死の状態へ移り、生者の集団から死者の集団に入ったことが社会的に確認される。[大林太良]

葬儀における二つの関心

一般的にいって、葬儀には二つの関心の対象がある。一つは死者自身であり、もう一つは生者、ことに遺族にである。葬儀が死者に対してもつ機能としては、身体からの霊魂の離脱を確実にし、他界に赴くのを助け、また死者が他界において幸福になるのを確保することである。これに対して、生者、ことに遺族のための機能としては、たとえば、社会的な再調整の機能がある。つまり、集団の成員の1人が死んでいなくなれば、それまでの人間関係の網の目の結節点が一つ欠けることになるし、また集団の均衡状態も崩れてしまう。まず葬儀を営み、あの人は死んだのだ、ということを集団的に確認することによって再調整の作業が始まる。また葬儀が生者に対してもつ機能には、別の側面もある。たとえば、親しい者が死んだとき、そこには深い悲しみがあるが、この悲しみを無制限に放置しておくことは、社会生活にとって好ましいことではない。どの民族、どの文化にも、喪に服する仕方や哀悼の表し方にはルールがある。この決まった形式を踏むことで、遺族など生者の情緒がある程度規制される。また葬儀の宴がもつ社会的機能も重要である。身内や近隣、友人などが集まり、この機会に共同で食事をすることによって、これらの人たちの間における連帯感が確認され、また強められるのである。そして伝統的な社会においては、このような葬宴は、富の再分配という機能ももっている。蓄積された食料を来客に御馳走(ごちそう)して消費することによって、特定の家族における富の集中がある程度阻止され、また、この消費によって、遺族と死者は社会における威信を保つことができるのである。これらは多くの社会でみられる葬儀の社会的機能であるが、そのほか、『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)にも「喪主哭泣(こくきゅう)し、他人就(つき)て歌舞飲酒す」とあるように、娯楽の機会でもある。また葬儀に参加することは、結局は生者に対して、いずれ自分も死ぬのだという、死への教育という機能ももっている。
 一般的にいって、葬制は漂泊生活から定住生活に移行し、また社会が複雑になるにつれて盛んになる傾向がある。つまり、漂泊的な採集狩猟民と違って、農耕を行い定住的な村落生活を送るようになると、死体を葬った墓と村との間に安定した関係ができ、死体の処理の仕方も入念になる。また定住生活に基づく社会関係、組織の発達によって一個人の葬儀にかかわる人の範囲と数も拡大し、葬儀における役割分担も複雑になる。また、一般的にいって、葬儀は、死んだ人がどのような社会的地位を占めていたか、どのような社会的機能を果たしていたかによって規模が違う。一般に成人に対しては葬儀は盛んに行われるが、幼児や小児に対しては簡単なのが普通であり、また成人でも、王族や首長(しゅちょう)、リーダーに対しては大規模に行われても、普通の人には簡単に行うのが通例である。そして葬制は、古代王国において、しばしばその規模と記念碑性において頂点に達した。エジプトのピラミッド、日本の応神(おうじん)陵古墳(誉田山(こんだやま)古墳)や仁徳(にんとく)陵古墳(大山(だいせん)古墳)のような巨大古墳はその例である。[大林太良]

葬儀の実例―シウアイ人とブニョロ王国

メラネシアのブーゲンビル島のシウアイ人はいも類栽培民で、世襲的な首長もないが、リーダーはいる。小児が死んだときは近親者だけで葬儀が営まれるが、地位の高いリーダーが死ぬと盛大な葬儀が催され、何百人も弔問客がくる。リーダーが死ぬ瞬間には、いちばん身近な親族が集まって大声で泣き、男だけのクラブハウスで太鼓をたたいて死を通知する。男たちは1時間ほど泣くと泣くのをやめて葬儀の実行計画を練るが、女の親族は泣き続ける。ここにも葬儀における役割の分担がみられる。それから息子の一人が未亡人と相談して、高価な貝殻貨幣(貝貨)を、彼の父方のおじや母方の甥(おい)やそのほかの親族に渡す。これは、葬儀のあとブタをもってきてくれるので、このときに前もって支払っておくのである。リーダーが死んだ日は、親族やそのほかの来客が1日中やってきて哀悼に加わり、翌日に火葬の薪(まき)を山と積む。日没から深夜にかけて他の村からの代表団が次々に到着し、儀礼的に盛んに泣く。そして日の出前に死体を灰にしなくてはならない。弔問客の大部分は日の出前に立ち去るが、未亡人と息子は燃え残りの骨を集めてかたづけ、葬儀の締めくくりとして手を清める。葬儀は終わっても喪はまだ続くが、1週間か2週間すると親族は普通の活動を再開し、いわば第一段階が終わる。さらに数週間たつと第二段階も終わるが、このとき、先に貝貨を受け取っていたすべての親族がブタをもってくる。遺族はそのブタを殺して、その肉を弔問客がきたすべての村に贈る。しかし未亡人の喪はまだ何か月も続く。
 このようにいわゆる未開社会でもリーダーの葬儀となると、相当こみいっている。これがさらに王国のレベルになると、個人としての王は死んでも、王権は継続していくので、王権の継続性が葬儀における一つの重要な要因になる。たとえば、東アフリカのブニョロ王国では、王が死ぬと最初の数日間は王の死を秘密にしていた。次に1人の男が、王の館のなかの建物の一つの屋根に登り、屋根の上から牛乳の入った壺(つぼ)を地上に投げ「牛乳はこぼれた。王さまは行ってしまった」とどなった。男が地面に降りると、人々は、王が死んだなどと口にすべきではないことをいったということで、彼を殺した。王の死体はミイラに加工された。ミイラ製作は世界各地にあるが、ミイラにされるのは指導者の場合が多い。エジプト、旧ソ連、日本の平泉(ひらいずみ)の藤原三代もその例である。そしてブニョロ王国では、かつては、王が死ぬと息子たちは殺し合いをして、最終的に生き残った息子が王国を自分のものにした。すると息子は、父のミイラの所にきて、その顎(あご)の骨を取り去り、特定の選んだ場所に埋めなくてはならない。そこに1軒の家が建てられ、前王の所持していた神器も保存される。この聖域の番人は王族のなかから選ばれる。死体は別の所に埋め、その墓は忘れられてしまうが、顎の骨を埋めた所はあとまで記憶に残る。前の王の精髄たる顎は、前王の王権の証(あかし)の神器とともに聖域に保存されたのである。
 この二つの例からも明らかなように、各社会はそれぞれの葬制をもっており、多種多様ではあるが、葬儀においては死者への哀悼ばかりでなく、生者間の関係が重要なことは、人類社会に共通しているのである。[大林太良]

さまざまな葬法

ある社会がどのような葬法をとっているかについては、さまざまな要因が考えられる。一方では、死体から早く接触を絶ちたいという気持ちと、できるだけ長く接触を保とうとする気持ちという相反する感情がある。つまり、死体との接触を早く絶とうとする態度は、死体放棄とか死体の破壊(火葬もその一つである)という形をとり、反対に、できるだけ長く死体との接触を維持しようとする態度は、複葬(死体を1回で処理してしまわないで、何回にもわたって繰り返し処理する葬法)とか、遺骨保存という形をとって現れる。この中間にあるのが、埋葬とか台上葬、舟葬などのさまざまな死体処理方法である。また、遺族が身内の死者の遺体、ことにその一部を食べる族内食人の習俗や、屍汁(しじゅう)を飲んだりする習俗も、死体との接触を長く維持しようという態度の極端な表現であるといってよい。ここでは死者の肉体を生者がその体内に摂取する形をとっているのである。複葬は東南アジアからオセアニアにかけて広く分布しているが、中国南部からベトナム、沖縄、奄美(あまみ)にかけて広く行われている洗骨の風習も複葬の一種である。洗骨して最終的に死体を葬って初めて死者の霊魂は他界に到達し、あるいは先祖の一員ないし一部となるのである。
 また他方では、死者の社会的地位とか、死ぬ前の良い悪いが葬法と関係している場合もある。たとえば、中国雲南省のタイ()族では、かつては葬法は3種あり、一般民衆は土葬、仏僧と領主・貴族は火葬を行い、また瀾滄江(らんそうこう)沿いの一帯では水葬が行われていた。またどの村にも公共墓地があり、竜林と称していたが、成年に達して死んだ者と未成年で死んだ者とは墓地が違い、「良い死に方」つまり大往生を遂げた者の墓と、「悪い死に方」を遂げた者とでは、墓地が別であった。村の外で殺されたり、焼かれたり、溺(おぼ)れたりして「悪い死に方」をした者の死体は、自分の村、自分の家に帰ることはできず、また村内で「悪い死に方」をした者は、即日に葬ってしまわなくてはならなかった。「悪い死に方」の場合は、葬儀を催すことはできなかった。難産で死んだ女は、胎内から胎児を取り出して別々に埋葬した。さらに、貴族と僧侶(そうりょ)はそれぞれ専用の墓地をもっていた。
 そのほか、他界観や宗教形態、教理なども、葬法を規定する重要な要因である。さらに葬制は歴史的に形成されたものであるから、歴史が重要なのは当然である。一つの民族、文化の内部において、中国雲南省のタイ族のように土葬と火葬というように複数の葬法が並存している例は珍しくないが、それには上記のさまざまな要因が複雑に関係しているからである。タイ族の場合、僧侶と領主・貴族が火葬、一般民衆が土葬というのは、上層部では火葬、下層では土葬という階層差を示している。また、土葬は土着の古くからの葬法であるのに対し、火葬は仏教と結び付いて入ってきた新しい外来の葬法であることを示している。日本の場合にもある程度似た事情がある。つまり日本においては先史時代から土葬が行われていたが、8世紀ごろから仏教を通じて、社会の上層から火葬が盛んになった。しかし、火葬はなかなか一般化せず、近年まで土葬地帯が広く残っていた。中世末の説経節『小栗(おぐり)判官』によれば、毒を盛られて殺された小栗判官主従11人のうち、小栗1人が名大将だからというので土葬され、あとの10人は火葬されたので、小栗1人だけが再生したという。つまり死骸(しがい)が残っていることが再生の条件なのであって、日本史家勝俣鎮夫(かつまたしずお)によれば、土葬が広く残っていたのは、このような民間の死骸観念があったからである。このようなはっきりした死骸観念はなくなってしまった今日でも、第二次世界大戦の戦場を訪れ、遺骨を納めるなどの行動の形をとって、古い伝統は続いている。[大林太良]

死後の幸福

死後の生活は生前の生活の継続であるという考えは、おそらくかつては人類にとって一般的なものであった。だから中世の日本のように、死骸がなければ再生できないというような観念も出てくるのである。普通、生者の社会的地位は死後もそのまま続くと考えられている。ただ継続ではあっても生者の世界と死者の世界とはあべこべだという考えも広く分布している。カンボジアの焼畑耕作民ブルーは、死者は右利きでなくて左利きであるといい、カムチャツカ半島の漁労狩猟民イテリメンは、現世が夏ならばあの世は冬、現世が昼ならばあの世は夜だという。ところが、キリスト教や仏教のような高等宗教の普及に伴って、生前の行動の倫理的な善悪に応じて、死後裁判が行われたり、死後の幸・不幸が決定されるという新しい観念が広がった。つまり、生前富貴であった人も、行いが悪ければ地獄に落ち、生前卑賤(ひせん)だった者も、行いがよければ極楽に行くことができ、いわば生前と死後とに社会的地位の逆転も可能になったのであった。これは人類の宗教思想史上の大きな変革であった。また死後の幸・不幸を決定する要因の一つは死に方である。中国雲南省のタイ族では、悪い死に方をした者は、葬法も違っていた。これは世界的に広がる習慣であり、ことに農耕民に多い。そして、それと呼応して、良い死に方をした者だけが他界において幸福になり、悪い死に方をした者は他界に入れないか、他界に入れても不幸な生活を送るという観念は、世界の農耕民の間に広く分布している。日本の産女(うぶめ)(産死した女の霊が化したという妖怪(ようかい))もその一例である。また、生前に特定のなすべきことをしていないと、死後、幸福にならないという考えもある。北海道のアイヌや沖縄においては、かつては女は手に(アイヌでは口の周りも)入れ墨する習慣があったが、これは、入れ墨して一人前の女になった者にだけ、他界の幸福が保証されるからであって、同様な入れ墨信仰は、東南アジア、中部インド、メラネシアにも広くみられた。さらに、遺族が葬儀をきちんと営むことや、定期的に死者や祖先の祭りを行うことが、死者や祖先の死後の幸・不幸を決定するという考えも農耕民の間に多くあり、これが祖先崇拝の重要な基盤の一つになっている。
 宗教的な教養によって葬制や死生観が変化した例としてヨーロッパがある。西洋史家阿部謹也(きんや)によれば、カール大帝(在位768~814)も死んだとき大量の宝物を墓に埋めさせたように、他界での生活に必要な物資を墓に副葬する慣習があったが、11世紀ごろ大きな転機が訪れた。キリスト教会はこの慣習を禁止し、そのかわりに教会に宝物を寄進するように命じた。教会はこれを貧民に配り、それによって寄進者は天国において救われるというのであった。つまり、現世においては寄進に対してはお返しはないが、天国における救いがお返しであった。中世の人間にとって、死後の世界、死後の救いは大きな関心事であった。そこで王侯貴族や富裕な商人は教会を建て、自分の死後の救いのために祈ってもらい、かつて死後の世界に贈与した分の財産を現世の教会に寄進した。ところが16世紀のルターの宗教改革において、また新しい転換が訪れた。カトリック教会では六つの善行を積まないと彼岸(ひがん)で救われないとしていたが、ルターはこれを拒否し、善行ではなく信仰のみによって彼岸を得ると主張し、聖と俗との分離は大きく進んだ。教義は葬制や他界観に大きく影響するのである。[大林太良]
『大林太良著『葬制の起源』(1977・角川書店) ▽木村尚三郎編『東京大学教養講座10 生と死』(1984・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の葬制の言及

【死】より

…あらゆる人類文化は,死についてのなんらかの対処法,あるいは死を一つの問題と見た場合,その解決法と呼べるようなものを提示している。死の起源についての神話的説明,死後の世界の信仰などは,この解決を観念と空想の領域で示そうとするものであり,人の死をきっかけとして行われる諸儀礼すなわち葬制の存在は,象徴的・演劇的表現の領域で人類がなそうとしてきた死の解決の試みを証明している。こうした問題の設定とその解決の試みを一般化して〈文化における死の受容〉ということもできるが,さらにその奥底には受容の見せかけをとった〈死の否認〉が隠されていると見ることもできよう。…

【薄葬】より

…埋葬施設や喪葬儀礼を簡素なものとすること。日本古代の葬制の流れについて考えてみると,薄葬思想が濃厚であったかと思われる時期がいくつかある。まず第1に,雄略朝から5世紀末の時期である。…

【喪】より

…そこには少なくとも生者が死者に対してもつ愛着と罪責の念,それと相反するように存在する恐れ,さらに死の穢(けがれ)とその隔離という要素が認められる。喪は広い意味での葬制の一部をなす。葬制の他の部分が死体の処理にせよ霊魂への供犠にせよ,死者という対象にむかって能動的になされる行為であるのに対して,喪の行為(服喪)は生者が,一方では死という事実を,そして他方では自分たちと死者との関係をみずからの生活のなかに象徴的に体現する行為だということができよう。…

【殯】より

…日本古代の葬制。人の死後,本格的に埋葬するまでの間,遺体をひつぎに納めて喪屋内に安置し,あるいは仮埋葬して,近親の者が諸儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗。…

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