日本歴史地名大系 「農人橋材木町」の解説 農人橋材木町のうにんばしざいもくちよう 大阪府:大阪市東区農人橋材木町[現在地名]東区材木(ざいもく)町・農人橋詰(のうにんはしづめ)町単に材木町ともいう。東横堀(ひがしよこぼり)川東岸に沿い、農人橋詰町の南に長く延びる町。南端の久宝寺町(きゆうほうじまち)通から同川に久宝寺橋が架かる。もと大和材木(やまとざいもく)町と称した(初発言上候帳面写)。町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。同図などには竜蔵寺(りゆうぞうじ)町付近から南谷(みなみたに)町南東部を経て谷町(たにまち)筋を越え、北進して藤森(ふじのもり)町と南農人(みなみのうにん)町の間で西へ曲がり、当町で東横堀川に落ちる大下水道が描かれる。一説には太閤下水といい、現在も暗渠化して一部が使用されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報