日本歴史地名大系 「農人橋詰町」の解説 農人橋詰町のうにんはしづめちよう 大阪府:大阪市東区農人橋詰町[現在地名]東区農人橋詰町・農人橋(のうにんばし)二丁目・南農人(みなみのうにん)町二丁目農人橋二丁目の西に延びる両側町で、東部を南北に通る松屋町(まつやまち)筋を挟んで伊勢慶光(けいこう)院屋敷が農人橋二丁目にまたがる。西は東横堀(ひがしよこぼり)川。農人橋筋の町はもと同川側から丁目が始まったと考えられ(→農人橋一丁目)、初発言上候帳面写によれば、当町は農人橋二丁目と農人橋川端幾右衛門(のうにんばしかわばたいくえもん)町が農人橋詰町に合併し成立した。当町の一部に相当すると考えられる農人橋一丁目の元和二年(一六一六)本帳(「大阪史談」所収)があり、同帳には寛永二年(一六二五)までの記載があるので、当時まだ城側が一丁目になっていなかったこと、もと農人橋一丁目とも称したことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by