近藤国平(読み)こんどう・くにひら

朝日日本歴史人物事典 「近藤国平」の解説

近藤国平

生年生没年不詳
鎌倉初期の幕府御家人。早くから源頼朝に随身していたことが知られ,治承4(1180)年挙兵当初の石橋山出陣に従った伊豆・相模両国御家人のなかにその名がみえる。文治1(1185)年中原久経と共に「鎌倉殿御使」として上洛,畿内近国の武士荘官らの非法狼藉停止に当たり,さらに院庁下文を帯して鎮西下向,同じく治安維持を掌る。頼朝から遣わされた雑色に非法停止の命を伝えさせ,承服しない場合は実力行使におよんだと思われるが,その際には「勇士」「廉直の誉あり」といわれる国平が任に当たったであろう。天野遠景の鎮西奉行就任後は関東に戻ったか。正治1(1199)年讃岐守護に任じられた。

(奥田環)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤国平」の解説

近藤国平 こんどう-くにひら

?-? 平安後期-鎌倉時代の武将
元暦(げんりゃく)2年(1185)源頼朝の命で中原久経(ひさつね)とともに京都におもむき,公家(くげ)などの荘園(しょうえん)をあらす武士の鎮圧にあたる。のち九州・四国でも同様の任務を遂行する。建久10年(1199)讃岐(さぬき)(香川県)の守護となった。通称は近藤七。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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